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店舗は雑居ビルの三階にある。場所が郊外なので市の中心部にある競合店と比べると賑わいには欠けるけど近くに中学と高校があるので下校時間になると女子学生が見に来てくれる。ぬいぐるみやアロマキャンドルや食器や時計、オブジェやカーテン、パッチワークのドレスを着た人形。輸入雑貨店である。
台風上陸の影響でビル内の他の店舗は全て臨時休業になっている。午前中の開店時にシャッターを上げた時は同じフロアの美容院が同じく店を開く所で気付いた女性店員が会釈してくれたのだけど昼頃フロアに出てみるとその美容院も戸が閉まって中が暗くなっていた。
窓の外を見るとまだ四時過ぎなのに夜みたいに暗い。ゴロゴロと雷が唸り続けている。雨が荒々しい音を立てて昨日の夜からずっと降り続いている。足元から地響きを感じる。棚がミシミシと揺れている。
店内にいる客は一人だけである。彼女は常連といってもいい。半年ぐらい前から週に一、二回の割合でよく来る背の高い女性で大抵午前中に現れて小一時間店の物を物色する。
顔が小さくて色白で細くて手足が長い。肩下までのセミロングの髪は真っ黒でストレート。一重のくっきりした目をしていてふんわりした癒し系の美人である。だけどいつもパンツスタイルで男性的な格好をしている。
服も鞄も高価そうだし、しっとりした赤い口紅をしているのでなんとなく夜の仕事をしているように見える。店に来る度に大体二千円から三千円の指輪を買っていく。
窓が光った。稲光が見えた。落ちた雷は体が竦む程の爆音と共に一瞬の地震を起こした。同時に視界が真っ暗になった。停電である。
どこか近くに落ちたのかもしれない。落ち着く間もなくまた窓が光ってすぐあとに地響きを伴った雷鳴が轟いた。休むことなく雨が激しく窓を叩き続ける。空はゴロゴロと唸り続ける。平常心を失う。体に響く強烈な炸裂音を続け様に聞いて心臓が弱っている。体が震えて掌に冷や汗を掻いている。
体を丸めて身動き出来ないでいるとぼんやり明かりが灯った。橙色の柔らかい光がすぐ近くにある。よく見るとそれはライターの火である。客の女性がカウンターのすぐ向こう側に立っていた。左手に赤い光沢のある高価そうなライターを持って綾乃を見ている。
「ブレーカー落ちたんじゃない? 他のビルもう電気点いてるよ」
涼しい声と表情で彼女が言うので不安や恐怖が大幅に拭われた。
「あ……はい」
一階にビルの事務所があってそこに多分誰かがいるので確認する必要がある。カウンターから出てよろよろ歩いているとまた窓の外で空全体が白く煌めいた。高層ビルが崩壊するような戦慄を感じる雷鳴が響き渡る。驚いた綾乃は情けない悲鳴を上げた。横にいた客の女性にしがみつく。
ふんわりと後頭部に触れる手に気付いて顔を上げた。
女性は柔らかく微笑んで言う。
「可愛い」
彼女の笑顔にうっかり見惚れてしまった。だけど彼女はすぐに目を逸らした。少し上を見て言う。
「あれ、電気点いたね」
天井の蛍光灯が元通り店内を照らしている。滑らかな手触りがする女性の黒いブラウスから手を離す。体も離して謝った。
「すみません」
「いいよ」
綾乃はボブカットである。耳の下で切り揃えている。色つきのリップクリームを塗るぐらいで特に化粧もしていない。花柄ニットに膝下のスカート。スニーカー。ギンガムチェックのエプロンは従業員用の物である。
美人で背が高くてとてもスタイルがいいその女性は高級ブランドのショーモデルみたいで何もかも平均的な綾乃とでは会話すら成立させるのが難しい気がして次の言葉がなかなか出てこない。会話なんかする必要ないだろうか。
だけどアクシデントが起こった直後に二人きりである。何も話さない方が不自然である。常連客だし、何か気の利いた事を言わないといけない。だけど元々人見知りするタイプなのでどうしても積極的になれない。すると相手の方が気遣ってくれた。
「雷怖いの?」
「はい、凄く」
「さっきの雷、近くに落ちたよね」
「はい、多分」
彼女は銀色の携帯電話を鞄から出す。それを耳に当てながら綾乃の目を見て訊く。
「今一人なの? 他に店の人いないの?」
「はい」
「こんな日に女の子一人だけで働かせるなんて危機管理がなってないね」
どう返していいのかわからなくてぼんやりしていると彼女は携帯電話の相手と話を始めた。
「あきら? 今何してるの? ……ふうん、……ああ、じゃあいい」
通話を終えると彼女は綾乃を見て訊いた。
「仕事何時まで?」
「六時までです」
「こんな天気だし早めに店閉めれば? 雷怖いんでしょ? 送っていってあげるよ、家まで。夜にはもっと酷くなるって天気予報やってたよ」
店長に電話をかけて訊いてみると帰ってよいということなのでエプロンを外してロッカーから鞄を取って店を出た。シャッターを下ろして鍵を掛ける。
階段を下りて一階にあるビルの事務所に鍵を返した。顔馴染みの事務員や警備員が複数いて挨拶をしてビルを出た。
一時的なものだろう。風が止んでいる。雨は土砂降りなので傘を差す。ビニール傘である。空が暗い。ゴロゴロと聞こえる。客の女性は黒い傘を差している。綾乃の歩幅に合わせてゆっくり歩きながら彼女が言う。
「何歳なの?」
「十八です」
「ああ、三個下」
「え、三個?」
綾乃が言うと女性は前を見たまま少し笑った。
「老けて見える?」
「老けてっていうか、凄く大人っぽく見えます」
「学校は?」
「中学卒業してすぐにあの店で働き始めたんです」
「高校行かずに? 今時珍しいね」
「馬鹿だから行っても意味ないし」
「自分で決めたの?」
「はい」
「ふうん」
「時間大丈夫ですか? 送ってもらっちゃって」
「大丈夫。名前なんていうの?」
「溝野綾乃です」
「ふうん。これ名刺」
手渡された名刺はシンプルだけどとてもいい匂いがしてそこには確かにゲイバーという文字があった。男性なんだろうかとその時初めて驚愕した。
「ナツさん? 男の人?」
訊くと彼女は綾乃を見て微笑んだ。
低い声だとは思っていた。女性にしては目立つ背の高さだし肩幅があるけどモデルだとそういう体形の人がいるのでわからなかった。
また雷が光った。咄嗟に建物に避難したくなって横にある喫茶店を見た。レンガの建物である。もう何年も前から営業していない。坂道の中腹に一軒だけある廃墟である。時計台があってその店の時計はもうずっと二時で止まったままである。この辺りは寂れていて半径一キロは店も民家も疎らになっている。
喫茶店を見ているとナツが言う。
「雨宿りする?」
「え?」
「傘差してるのにもうびしょびしょ」
「でも鍵」
「なんとかなるよ」
ナツは鞄の中から黒いポーチを取り出した。ヘアピンを伸ばして古いドアの鍵穴に差す。一分も経たなかった。カチリと音がした。ドアノブを回してドアを開く。感心した。
「うわあ凄い」
彼はにこっと笑って「ほらね」と言った。
「……だけど、ちょっと雨宿りして止むような感じじゃないし」
「タクシー呼んであげる。車で来てれば良かったんだけど、家近所だから」
「私もこの近所なんです。だから台風でも仕事休まなかったっていうか、だから走って帰ればあっという間に」
「タクシー呼ぶからその間雨宿りしてようよ。前から綾乃ちゃんと話がしてみたかったんだよ」
彼がドアを開けてくれたので中に入ってみる。右手にカウンター席があって左にテーブル席が五席。テーブルは木製で椅子は革張りである。アンティーク風のランプやシャンデリアが天井からぶら下がっている。窓には赤いカーテンが掛かっているけど状態は悪い。破れている。
どこを見ても全体的に埃を被っている。天井の角に大きな蜘蛛の巣があるのが見えた。肌寒いしとにかく暗い。
「ナツさん、ここ電気点かないかな……」
振り返ると後ろ手にドアを閉めながら彼が言う。
「点くわけないよ。もし点いたとしてもそんなの点けたら不法侵入してるのばれちゃうじゃん」
「あ、そうか……」
天井にシーリングファンがある。
「綾乃ちゃんてほっぺた柔らかそうで可愛いね」
綾乃の頬を左の掌で撫でるので流石にびっくりした。骨ばった大きな手をしている。彼の表情がなんだか急に男に見えた。
「ナツさんって男の人が好きなんですよね?」
「そう見える?」
「雑貨の話を」
「簡単にこんな所までついてきちゃ駄目だよ。騙されちゃうよ」
騙された?
出入口のドアの前には彼が立ち塞がっている。飄々とした表情は変わらず彼は店内を見回しながら言う。
「ずっと好みだなーって思ってて」
「私女ですよ」
「うん」
言いながらじりじりと近付いてくる。
「俺は男だから問題ないよね」
「ないの? ゲイでしょ?」
「どっちでもいいよ。男でも女でも」
キスをされた。混乱した。今置かれているのがどんな状況なのか冷静に判断が出来ない。彼は塩顔のすらっとした美人である。女性? 男性? じりじりと後退しているのに距離がどんどん詰まる。窓際のコーナー席はソファーだったので押し倒されてやっと状況が飲み込めた。
「ヤらせるよりヤる方が好きだし」
「待って、私ちょっと前まで未成年、条例とか引っかかるんじゃ」
彼が「ははっ」と笑った。男の声だった。「条例? 頭いいじゃん」
優しい顔をして綾乃を見つめながら綾乃の左脚の膝を掴む。
「でももう未成年じゃないんだろ?」
犯された。
一般的に強姦だといわれるものだと把握するにも時間がかかった。それぐらい何をするにも彼は優しかったし女性みたいな見た目で混乱するばっかりで綾乃自身ろくに抵抗も出来なかった。
破瓜の瞬間は痛かったけどとても丁寧に準備をしてくれたのですぐに気持ちよくなってとても混乱した。はしたないことをした。恥ずかしいことをされた。誰にも見せたことがない所を見られて触られた。舐められた。彼はそういう行為に慣れていてそういう行為が好きなんだろう。小さい胸を沢山触られた。舐められた。
舌をあんな風に感じるのは初めてだった。凄く丁寧に体中にキスをされた。勿論口にも何度もキスをされた。軽いキスじゃなかった。舌があんなに気持ちいいとは思わなかった。激しく求められて体がびっくりしている。妊娠させられると思った。女性を犯すことに慣れているしとても強い体で欲情をぶつけてくる。彼の性器が何時間も綾乃の中で動いていた。抑揚をつけて腰を動かして綾乃の下半身をどろどろに溶かしてしまった。だけど心にダメージはあったのでひと眠りして目が覚めた時は泣いた。
彼は何も手術をしてなかった。体は男そのもので下着すら男物だった。外見だけが紛らわしい。騙された。
雨は止んで窓の外はすっかり夜更けのように見えた。相変わらず店内は暗いけど近くは見える。彼がテーブルの向こう側の席に座って煙草のようなものを吸っている。だけど煙草の匂いはしない。服は着ている。目を覚ました綾乃に気が付くと微笑んだ。
「寝癖ついてるよ。可愛い」
「ナツさんは」
「なっちゃんって呼んでみて」
「……なっちゃん」
「うん」
機嫌が良さそうである。
多分無茶苦茶遊んでいる人なんだろう。自分とは住んでいる次元が違うような怖い人で、犬に噛まれたとでも思わなきゃいけないことなんだろう。
「……何?」
「なんでもない」
「携帯番号教えてよ」
伝えた番号を登録しながら彼が言う。
「綾乃ちゃんって狸顔じゃない? 垂れ目が可愛い」
携帯電話を綾乃に向ける。アップで写真を撮られた。それを見ながら「可愛い」と笑っている。
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