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「…君は、夕食は、どうするのかね?」
彼女に背を向け、自動昇降スロープに向けて何歩か進んだ位置から。私は振りむき、問いかける。
「…どうでしょう。特に考えていませんでした」
彼女がそこから振り返り、意欲の感じられない眠そうな声と表情で、私にむけて言葉を返した。
「教員棟のレストエリアが、まだおそらく、機能している。そこで一緒にどうかね? 少しはまともなものを。食べようじゃないか? 独立記念の祝杯、とまではいかないが。」
「…しかし先生、」
「なんだね?」
「アカデミアの生徒の、教員棟の立ち入りは、厳しく禁止されている―― のでは、ありませんか?」
「…そのとおりだな。だが。校則や校規は、時には柔軟に変更されうるものだ」
「…そうなのですか?」
「そうだ。そして現状、あのアカデミアに残存した専任教官は、今ここで私が知る限り、おそらく私ひとりだろう。つまり私にその判断権限があると。そのように私は理解しよう。目下の最高権限保持者たる私が、いま、許可を出す。少なくとも今、この夕刻に関しては。教員棟へのエントリーは例外的に許可する、と。もしこう言えば、どうだろうか?」
「…先生の側で、そう判断されるのであれば。私はそれで、かまわないです」
しばらく逡巡したあとで、彼女がぽつりと言葉を落とした。特に好意的な声音ということでもなかったが。特に非好意的な発声でもない。つまり顕著に、普段の彼女らしい声ということだ。
「ふだんは君は、夜は何を食べているのかね?」
ゆるやかな速度で斜めに下降する自動スロープの上で、私は彼女に問いかける。特にそれが知りたいわけでもなかったが、それ以外に、横に立つ彼女と共有できる適当な話題が見当たらなかったからだ。
「ふだんは規定の、17号固形食のセットです。あとはスープと」
「…あまり具体的なイメージが湧かないが。それは美味しいのかね?」
「無着色のものは、それほどでもありません。しかし、発色剤入りのものが支給されるときは、少し風味もよくなる気がしています」
「…そうか。」
「…そうです。」
それで会話は終了だ。
全天候型の透明シェルで保護された区間を過ぎて、自動スロープは今、天蓋のない露天の区間にさしかかっていた。風はない。大気はただ、1日の終わりに向かってゆっくりと温度を下げている。無人の都市の光が二人の眼下で輝いている。二人はそこへ降りてゆく。その無機質な自動照明の光の海が、いまは二人が属する唯一の都市だ。
都市人口2名。ここが今からはこの星の首都であり、おそらく私自身の墓所でもあり―― そしてあるいは、すぐ横に立つこの口数の少ない少女の故郷でもあるはずだ。何もない都市だが。何もない場所だが。しかし。あるいは。すべてがそこにあるのだろう。
さて。この夜を。どう過ごすのか。そして明日を、どう過ごすのか。
よくわからない。しかしまあ、わからなくともよいだろう。動くモノが、意志を持つモノが、もう私たち以外にはいなくなったこの凍える星の上で。
だが。心は不思議と重くない。心はむしろ、軽いのではないか。
それが今は、重要なことだ。遠い未来よりも明日以降のことよりも。
今はこの比重のない、自由過ぎるまでに自由な、夜の星の屋外の凍てつく大気を。
ただ肺にとりこむ。そして吐き出す。それがむやみに、心地よい。
そして私は意図せずひとりでなくなった。私はしばし―― しばしの時間をこの星で生きよう。まだ、あえて自ら死ぬこともない。死ぬときまでは生きるとしよう。奇遇にも、惰性で生きた人生の最後の時間を共にする―― このそばに立つ、ひどく若い、感情の起伏が読みにくい、しかしそれでも何かの熱さを内に秘めていると想像される、ここにいるこのひとりの生徒と。
いや。
アカデミアは、すでに閉校したのだ。
だから言い直そう。いまここにいる―― 若く未知なる、ひどく無口な友と二人で。
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