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学校には優しい先生がいる。小川先生である。小川先生に誘われてボランティア部に入っている。
土曜日に活動することもある。駅や公園の掃除をしたり学校の近くの孤児院の子供達と遊ぶ。子供達と鬼ごっこをしてはしゃぎすぎた。
木の幹に足を引っ掛けて転んでしまって立ち上がろうとすると足が攣った。何故か昔から足がよく攣る。そのままなかなか治らない。
小川先生が車で送ってくれた。白いワゴン車の助手席に乗る。ダッシュボードの上に芳香剤があってシトラスのいい匂いがする。
先生はいつも化粧をしてない。目尻が垂れていて皺が濃い。頬がふっくらしている。ショートカットの黒髪はふわふわしている。いつもカーディガンを着ていて小指にシンプルな指輪を付けている。雑種の犬を飼っている。
家に着くとお礼を言って別れた。
ソフトレザーのバックパックを背中から下ろしてポケットを開けて兵隊のゴムの人形がくっついたキーホルダーを引っ張る。家の鍵である。
キーホルダーは薺ちゃんが去年くれた誕生日プレゼントでバックパックはママからのプレゼントである。
玄関の下駄箱を開けて脱いだ靴を片付ける。
下駄箱の中の靴が少ない。誰もいないかもしれない。まだ三時前なので皆出かけているんだろう。
部屋に帰ると箪笥の引き出しを開けた。ママの手作りのサポーターを取る。ベッドに座って足に巻いた。
足がおかしくなるといつもママかお兄ちゃんが治してくれる。ママは看護学校を卒業しているしお兄ちゃんは柔道と一緒に整体の勉強をしている。
ベッドの上にはぬいぐるみが並んでいる。
猫の抱き枕はママが買ってくれた。眠れない時はそれを抱くと何故か眠れる。
部屋着に着替える。チワワのイラストがあるクリーム色のTシャツと紺色の膝丈のスカートである。
スカートはぺらぺらの薄い素材なので涼しい。エアコンはつけずに窓を開けた。風が強くて涼しい。
窓の傍には大きな木がある。今は日陰になっていて吹いてくる風が冷たい。だけど木が近いので蝉がとまると煩い。サーモンピンクのカーテンが風で揺れる。
古文の宿題があったことを思い出して椅子に座った。学校の鞄から教科書とノートを出す。プリントを出す。
『現身』の読みを記せ。
『ひねもす』の口語訳を答えなさい。
辞書を学校に忘れた。さっぱりわからない。
引き出しを開ける。ヒヨコが表紙のノートを取り出す。ママから言われて付けている日記である。鬼ごっこをしてこけたことを書いた。
熊のキャラクターのシャーペンは樹里ちゃんと文香ちゃんが一昨年の誕生日にくれた。
明日誕生日の理穂ちゃんには理穂ちゃんが好きなブランドのハンカチを用意してある。友達の沙希ちゃんとデパートに行って買ったものである。
窓の横の飾り棚の一番上にリスの貯金箱がある。お小遣いは毎月五千円貰える。二十歳を過ぎたら貰えなくなるらしい。
お兄ちゃんはアルバイトをしている。ロボットを作っている教授の手伝いをしているらしい。
スマートフォンは大学生になってからというルールである。
理穂ちゃんには恋人がいない。モテるのにずっといない。薺ちゃんも樹里ちゃんも文香ちゃんもである。ブラコンだからだろう。お兄ちゃんが恋人を作らないから皆作らない。宗教みたいである。
宿題を教えてもらいたいけど樹里ちゃんと文香ちゃんは意地悪だから教えてくれない。それに出かけていていない。意地悪だから友達がいなくていつも二人で遊んでいる。
だけど二人には才能がある。樹里ちゃんは油絵が得意で文香ちゃんは彫刻が得意である。二人して沢山の賞を貰っているので土曜日と日曜日は美大の教授に絵や彫刻を教えてもらったり弟子として教授の仕事を手伝ったりしている。
教授は七十歳のお爺さんで優しくて弟子に甘いらしい。弟子は二人の他にも何人かいるらしい。
足がまだ痺れている。治らない。
まだ誰も帰ってこない。足を引きずりながらドアを開けて廊下に顔を出す。真正面の双子の部屋のドアが半分開いている。
辞書があるかもしれない。勝手に部屋に入っても辞書を借りても今まで怒られたことがないので中に入った。
絨毯は赤い。窓際にダイニングのテーブルよりも大きな素朴な木の机がある。
二人で作業が出来る大きな机がいいと言って天板と脚を買って組み立てた双子の手作りの机である。
オークの一枚板の上に彫刻や絵が乱雑に置いてある。
机の横に黒い大きなスチール棚があって机の対角線上に紫色のパイプの二段ベッドがある。
ウォークインクローゼットの中に教科書や辞書が積み上げられている。借りたかった古語辞書はなかった。
理穂ちゃんと薺ちゃんは厳しいので宿題は自分で何とかしなさいと言うだろう。
お兄ちゃんは一番怖いけどママの次に藍子に甘い。機嫌がいいと何でも言うことを聞いてくれる。宿題の答えも教えてくれる。
夕方には雨が降り出して空は真っ暗で暴風が吹いた。
足を引きずりながらダイニングの横のパントリーに入ってパイナップルの缶詰を取る。缶切りで蓋を開ける。刃が指に刺さって血が出た。
まだ誰も帰ってない。
窓ガラスが大きな音を立てたので驚いて缶詰を落とした。パイナップルが一切れ床に落ちてしまった。
拾って水で洗っていると玄関のドアが開く音がした。
誰かが帰ってきた。傘の音が聞こえる。廊下を歩いてくる足音が聞こえる。足音でわかる。お兄ちゃんである。ダイニングに来た。
モスグリーンの長袖のシャツは少しだけ雨に濡れている。デニムを穿いている。
腫れた顔に絆創膏が沢山貼り付けられていて藍子を見て眉が歪んだ。機嫌が悪い。
土曜日はいつも柔道部の練習がある。お兄ちゃんは強いので負けることはないのだけど負けなくてもかすり傷は付く。それにしたって絆創膏が多すぎる。
右目の周囲が腫れて紫色になっているし唇が切れて血が出ている。柔道が原因じゃないのかもしれない。誰かと喧嘩したのかもしれない。
「喧嘩したの?」
お兄ちゃんは答えずに藍子のすぐ目の前まで歩いてきていきなり藍子の髪を引っ張った。
藍子の腕や腰を掴んで藍子を肩に担ぐとダイニングのすぐ隣にある藍子の部屋のドアを開けて藍子をベッドの上に放り投げた。
足首が痛んで膝を抱えて丸くなっているとお兄ちゃんが藍子の脹脛を掴んだ。片方だけ足首を持って引っ張るので大股開きになってしまう。慌ててスカートを押さえてパンツを隠した。
藍子の足首を掴んだまま藍子の脚を折り曲げてお兄ちゃんは藍子の体の上に乗っかってくる。足首のサポーターを引っ張って言う。
「また攣ったんだろ?」
仰向けにひっくり返されて足首を掴まれて身動きが取れない。お兄ちゃんは藍子の下半身を跨ぐ格好でいる。
スカートを押さえているのでパンツは見えないかもしれない。だけどお兄ちゃんのデニムの感触を遮るのはパンツしかない。
取り乱した。
上半身を捻ってなんとかうつ伏せになってもお兄ちゃんが藍子の足首を掴んだままでいるので下半身の密着は変わらない。余計まずくなったかもしれない。
藍子の臀部に腰を押し付けたままお兄ちゃんはスカートの中に手を入れてきた。藍子のパンツを引っ張って下ろして抜き取ると藍子の首の後ろで言う。
「何やってたんだよ」
「鬼ごっこ」
言いながらウサギのぬいぐるみの目を見た。外は雨が降っている。だから暗い。電気は点いてない。
頭がぐらぐらする。お兄ちゃんの首や胸に近付くといつもこうなる。お兄ちゃんは香水なんかつけてないのにいい匂いがする。この匂いを嗅いでいると意識が遠のく。体から力が抜けていく。
お兄ちゃんはぐったりしている藍子の首を後ろから片手で掴んだ。
「首って急所なんだよ。誰にでも触らせるなよ」
「足、痛いのもう大丈夫だよ。めんどくさいことさせちゃってごめんなさい。喧嘩とか余計なこと訊いてごめんなさい。だから怒らないで」
「怒ってないよ」
「ほんとに? 私何かお兄ちゃんの気に障ることしたんじゃない?」
「してないよ」
「じゃあ私のこと嫌いなの? 嫌いにならないで。パンツ返して」
「なんで?」
藍子の腰に右手を乗せてベッドに押し付けるようにしながらお兄ちゃんの腰が少し浮いた。
お兄ちゃんが藍子から離れる。だけどまだすぐ近くにいる。ベッドの上で壁に凭れて座っている。
藍子は布団に顔を埋めた。スカートが捲れて半分お尻が出てしまっていることはわかっているけど脹脛を踏まれていて動けない。
ガチャガチャと音がした。お兄ちゃんがズボンのベルトを緩めている。
布団に顔を埋めたままでもお兄ちゃんが何をしているのかわかった。お兄ちゃんの体の熱を感じる。
動揺して這ってベッドから落ちた。立ち上がって部屋を飛び出した所で薺ちゃんと肩がぶつかった。
転倒した藍子のお尻を見た薺ちゃんが大きな声で言う。
「パンツは?」
「違うの」
上手く答えられなくて洗面所の方へ逃げた。
振り向くと薺ちゃんが藍子の部屋を覗き込んでいるので緊張した。部屋の中から飛んできた枕が薺ちゃんの顔にぶつかる。
足はいつの間にか治っていた。
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