無限地獄

1/1
前へ
/15ページ
次へ

無限地獄

大村の両親は仲が悪く、父親も大酒呑みで暴力的だった。 愛人を、はなれの小屋に連れ込む父と、他人事として振る舞う母を見ながら育った大村は、 「こんな大人にはなりたくない」 と、思っていた。 酒を飲む度に思い出すのは、枯れ枝みたいにちいさくなった両親の亡骸で、棺の中の防腐剤の匂いと共に、大村の心を掻き乱す要因にもなった。 「不思議なものだ、俺はなりなくなかった人間になってしまった…血は血だ…抗える筈もない、俺は社会不適合者で病人だ」 と、自分を卑下しながら酒をあおる。 抜け出せない無限地獄は、大村の身体も蝕んでいった。 ある日のこと。 居間で内職の機織りをしていた詩織を、大村は理解出来ずにいた。 「金はいくらでもあると云うのに…何故働くんだ…そんなにこの家から出たいのか…?」 そっと襖を開けると、詩織は疲れた顔で大村に目を向けた。 色白の肌に大きな瞳。 その瞳は非難に満ちていると感じた大村は、 「文句あんならはっきり言え!」 と、声を張り上げた。 詩織は動じなかった。 それはまるで、父の不貞を無視し続けた母に似ていると、大村は感じた。 詩織は、ゆっくりと口を動かした。 「お酒はやめてください」 「は?」 「約束してくれましたよね、お酒はやめてください!」 「なんだと!お前はそんなに偉いんか!」 大村は詩織の髪を引っ張って立ち上がらせると、左頬を拳で殴り、その華奢な身体を蹴飛ばした。 詩織の鼻と口からは、真っ赤な血が流れ、畳にポタリポタリと滴り落ちた。 「胸くそ悪い!」 大村は家を飛び出した。 詩織に涙は残っていなかった。 泣いているだけの生活に、詩織は疲弊していた。 出会ったばかりの大村は、やさしくて頼もしかった。 戦争孤児だった詩織の理解者であり、兄貴のような存在でもあった。 ところが、今の詩織にとって大村は、 「出来損ないの人間」 それだけだった。 詩織には、些細な楽しみもあった。 はなれの小屋で。子猫を育てていた。 大村が忌み嫌う住処で、子猫は無邪気に飛び跳ねて、部屋の隅の、日当たりの良い場所を寝ぐらにしていた。 子猫と触れ合う中で、詩織はいつか自立したいと考えるようになった。 「行かなきゃ」 詩織は畳の血だまりを拭き取ると、台所からかつお節の袋を手に取って外へ出た。 口の中は鉛のような味がしていた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加