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27回目のバイブレーション
高樹との情事のあと、ボクシングジムで軽く汗を流した靜子は、人もまばらな午後1時の、東急田園都市線・あざみ野駅ホームで電車を待っていた。
ベンチに腰掛けてスマホを見ると、高樹からのメッセージと、夫の孝次郎からの着信を示す受話器のマークが目に入った。
靜子は迷わずに、高樹からのメッセージを指でなぞった。
「役員会議、クソだるい…いっそのこと逃げだして、ふたりで温泉とかいきたい」
「ダメだよ、ちゃんとしなさい」
「承知しました!」
「(^_^)」
「もう始まる…」
他愛のないやりとりは、靜子を現実から遠ざけてくれた。
家に帰りたくない…
それだけの理由を、口にすることも出来ずに何年もの時間が過ぎた。
結婚生活は、既に破綻していた。
靜子は、バックに忍ばせた離婚届の入った封筒に手を当てて、ふうっと息をはいてスマホに目を落とすと、高樹から新しいメッセージが届いていた。
「もう着いた?」
「まだだよ、電車待ってる」
「そうなんだ」
「うん」
「何かあったら電話して!」
「…何かって?」
靜子の問いに、高樹は応えなかった。
虚しく映る「既読」の文字を、靜子は長い間見つめて、
「帰りたくない…」
と、入力したが、送信ボタンは押せなかった。
余計な心配をかけたくないし、厄介ごとに巻き込むつもりもないからだ。
渋谷行きの電車が、ゆっくりとホームに到着すると、靜子は角の席に座って目を閉じた。
はやく身体を休めたい…と、思っていても、そうはならないことは、夫からの着信履歴で覚悟していた。
27回目のスマホのバイブレーション。
それでも靜子は無視を続けた。
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