プロローグ

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プロローグ

下弦の月を、時折、かすれ雲が頬を撫でるかのように過ぎていく。 風が靡く。 緑地の木々が、さやさやと音を奏でる。 都心郊外の街。 小高い丘の上に出来た住宅地。 横浜市青葉区美しヶ丘。 その一画、高層マンションの最上階の一室。 開きっぱなしのカーテンと、青白く揺らめく部屋の灯り。 絡み合う男女のシルエット。 窓越しの女の胸元を、男の指先がやさしく撫でている。 キスをせがむ女は、身体をくねらせながらちいさく喘いでいるが、その声は、下弦の月までは届かない。 リビングルーム。 吊り下げ式のスクリーン。 そこに映し出されるドラマのワンシーン。 夕闇迫る神社の境内。 竹藪に囲まれた古札納所。 蝉時雨。 木々の騒めき。 半裸の女が、ひとりの大柄な男に押し倒されている。 白くて長い女の首に、容赦なく巻き付けられる鉄製の鎖が、じゃらりと音を立てる。 女は、叫び声をあげない。 何故なら、粘着テープで口を塞がれているからだ。 激しい男の息遣いと、床に滴り落ちる汗。 女は、苦悶の表情を浮かべながら、両腕を宙に掲げている。 それは、何かを掴もうとしているのか… それとも、生きることへの最期の喘ぎなのだろうか… 「人ってさ、こんなに綺麗に死ぬのかな…」 「知らないわ…」 「いつも綺麗なくせに?」 「…やめてよ」  「やめるの…?」 「…ヤダ…やめないでよ…」 「いれていい?」 「…聞かないで、そんなの…」 「ちょっと待って…」 「待って、付けてあげる」 「え?」 「カッコ悪いんだもん、男のそういうの…」 女の首に絡まる鎖と、肢体を這いずる男の舌先。 遠くで打ち上がる花火が闇を照らす。 女は、ゆっくりと仰け反った後、パタリと動かなくなる。 虚空を見つめる瞳。 花火の音。 立ち去る男。 古札納所に横たわる、半裸の艶かしい女の身体。 「俺も、靜子の首を絞めてもいいかな?」 「…いいよ」 「いいの?」 「…だけどその前に」 「ん?」 「私が絞めてあげる…」 「え?」
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