18人が本棚に入れています
本棚に追加
半年ほど前、仕事帰りのフミは、店を出たところで声を掛けられた。
「フミちゃん、寄ってかない?余り物の処分をお願いしたいんだよね」
フミは高鳴る鼓動を落ち着かせるように、肩に掛けた鞄の紐を握りしめる。
斜め向かいで『アサール』という名のカフェ&バーを営む八反は、整った顔に人懐こい笑顔を浮かべて手を上げている。
祖母がスペイン人らしく、甘いマスクと長身の、誰もが認めるイケメンだ。
「えっと、じゃあ……」
フミはおずおずと八反の元へ向かった。
「今日はもうお終いですか?」
店内に入り、カウンターに腰掛ける。
八反は厨房に入って、冷蔵庫からローストビーフを取り出した。
「うん。夕方から貸し切りだった。学生の時の友達の結婚祝賀会」
「そう言えば賑やかでしたね」
八反は料理を差し出すと、フミの前にグラスを置く。
「フミちゃん、シャンパン飲む?俺、全然飲めなかったからさ、ちょっと付き合ってよ」
それからアルコールの力も加わり、フミは八反と小一時間話し込んだ。
厨房にいた八反はフミの隣に座り、気付けばやたらと距離が近くなっていた。
「フミちゃんさ、息子さんが帰ってきたらどうすんの?」
店主夫婦には息子がいて、現在はフランスへパティシエ修行に行っているのだ。
「うーん、どうしましょう?お役御免になる前に『ぴよこっち』の味を習得したいんですけど……」
フミは『ぴよこっち』の洋菓子に心底惚れ込んでいる。
高校生の頃に通学路にあったこの店で、何気なく買った菓子を食べて、その美味しさに震え、感動のあまり涙まで出た。
それ以来、ずっと店主の下で修行することを目指してきたのだ。
「出来るなら、フミちゃんにお嫁さんに来て欲しいっておばさんが言ってたけど」
フミはアハハと笑った。
最初のコメントを投稿しよう!