虚ろの絵師と色喰いの筆

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 突然だけど聞いて欲しい。僕は絵を描くのが人よりも少し…いや、過ぎた謙遜は傲慢でしかないからやめよう。僕は絵を描くのが人よりも上手い。かなり上手い。本気を出したら賞を取るどころじゃ済まない、世界をガラっと変えてしまうくらい上手い。  ところで僕の目はちょっと変わっている。いや、これもちょっとじゃない。だいぶ変わっている。目に見えないものが見える。主に強い思いが見えてしまう。学校でテストを受ければ、問題の向こうに先生の悪意が見えたり、答えが見えてしまったりする。当然のように幽霊も見える。守護霊、生霊、地縛霊。たまにエグい妄想も見えてしまう。人間の方がよっぽど怖い。強く念じてもらえれば思い出や記憶だって見えてしまう。これは少し便利。  そうそう、あと1つだけ。僕は特別な筆を持っている。その筆でちょっと撫でると色を奪うことができる。雑草を撫でると筆先には瑞々しい緑色が宿る。あまりに強く色をもらってしまうと、引き換えに雑草は枯れてしまう。おばさんにこれがバレたときは、1日中庭の雑草を筆で撫でるはめになった。しばらく草を描くための画材には困らなかった。筆には色を集めておけるし、好きなときに好きな色を引き出せる力もある。あるけど、雑草の緑でパンクしないかひやひやしたのを覚えてる。一生緑色しか使えなくなったらどうしようと少しだけ考えちゃったものだ。  さて、そんな僕のところには、普通じゃない依頼がよくやってくる。思い出の景色を絵にしてくれという依頼があったときには、僕は依頼人が思い浮かべた風景を見ながら、ついでに少しだけ色も拝借して、絵を完成させる。肖像画を描くときは緊張する。色を貰い過ぎると依頼人が死んじゃうし、肖像画が夜な夜な喋り出したりしてしまう。さじ加減が難しい。 「母を助けて」  その女性は第一声から泣きそうだった。詳しく聞くと、末期ガンで長くないということだった。 「なにかいるの。母の上に何かいるの。あなた…見えるんでしょ?」  なんだ、そっちの依頼か。僕は一気に冷める。確かに僕は除霊の真似事もしている。やり方は簡単。特別な目で怨霊を見て、特別な筆で存在ごと吸い取って、特別な絵の才能でキャンバスに閉じ込める。あとは幽霊画を集めているコレクターに売って終わり。僕は美しい絵を描くのが好きなんであって、幽霊を描く趣味は無いから強く強く口止めしているんだけど、こうやってどこからか話を聞きつけて訪ねて来る客が後を絶たない。断るのも面倒なので、はいはいと適当な返事をしながらキャンバスを準備して、あれよあれよと病室へ。  一目見て僕は息を呑んだ。あぁ、なんて美しいんだろう。直感した。これは怨霊なんてつまらない存在じゃない。死神だ。あぁ、なんて美しいんだろう。僕は黙ってキャンバスを展開すると、筆を死神の体に静かに浸す。筆先が透明な黒に染まっていく。もっとだ、もっと欲しい。全部欲しい。こんなに美しい黒、これを逃しちゃいけない。僕は筆をキャンバスに走らせていく。死神が気がついて慌て出すが、もう遅い。言うのを忘れたけれど、僕は筆が速い。それはもう、とんでもなく速い。キャンバスの上には気品漂う死神が浮かび上がっていく。水彩のような透明感でありながら、油彩のような重さと深さをもった黒。僕は夢中で筆を走らせた。1時間も経たずに絵は完成した。これまでの人生で集めた色も総動員して描き上げた死神はキャンバスの中で僕を何とも言えぬ顔で見つめている。 「お母さん!」  危篤だったというお母さんとやらが目を覚ました、そんな感動のワンシーンの隣で、僕は満足と絶望の狭間にいた。唐突に落語の死神の顛末を思い出したのだ。死神の仕事を邪魔した主人公は代わりに殺される。でもまぁ、こんなに美しい死神を描けたんだ。もういいや。 「なぁ、お前さん」  死神がキャンバスの中から話しかけてくる。僕は背を向けて応えない。応えたらどうせ殺されるに決まっているんだ。 「なぁ、お前さん。ひとつ相談なんだが」  分かってる。帳尻が合わないとか言い出すんだ。 「俺が次に殺さなきゃいけなかった相手のことさ。悪魔みたいな極悪人なんだがね」  僕じゃないの?思わず振り返る。釣れた。死神がそういう顔をする。 「極上のお客様だ。地獄にご案内するべく調べてみたら、なんとびっくり。本当に悪魔が憑いてやがった」  悪魔。その響きに背筋が震える。違う、断じて恐怖じゃない。これは好奇心だ。猫を殺してしまうアレだ。死を覚悟していたくせに、僕の全身はもう、好奇心に支配されている。顔が自然とにやけていく。 「どうだい。本物の悪魔、描いてみたくねぇか?」  僕は大きく頷いた。キャンバスの中の死神はニヤつきながらも、僕の顔を見て若干引いているようだった。
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