18人が本棚に入れています
本棚に追加
2鼠色
「干し芋……」
夢と現実の境目でぼんやりしながら、紗綾は気づいた。
先ほどまでの会話は、ただの夢だったのだ。
たまたま座れた地下鉄に揺られるうちに、うっかりうつらうつらしてしまったようだ。
(随分変な夢だったなあ。とりあえず、寝過ごさなくて良かった)
ブレーキに引きずられないよう踏ん張りながら、首を少し振る。
しっかり目を開くと、紗綾は立ち上がった。
淀んだ空気の中を、周囲の乗降客と足並みを揃える。
まだ少し寝ぼけた重い足取りで、ホーム上を地下鉄の階段へと向かう。
(なんだか干し芋食べたくなってきちゃった…。コンビニ寄ろうかな…。)
紗綾がそう思った時、急ぎ足で階段を下りてきた数人の子どもたちとすれ違った。
どの子どもも同じ制服に身を包み、ランドセルを背負っている。
小学校低学年くらいに見える。
すると最後尾にいた一人が、紗綾のすぐ側でズテンと音を立てて転んでしまった。
もしかすると、ホームに到着していた列車に焦ったのかもしれない。
小走りで列車へ向かう他の子どもたちは、まだ気がついていない。
周囲の乗降客たちは転んだ子どもの周りを歩くのを避け、混雑したホームにはそこだけぽっかりと空間が広がっていた。
だが、助け起こす人は誰も居ない。
「大丈夫?」
紗綾は慌てて駆け寄り、転んだ子を助け起こした。女の子だ。
「…大丈夫?どこか怪我してない?」
おかっぱ頭の女の子は、起き上がると、大きな黒い瞳で紗綾の顔をまっすぐに見つめた。
「……」
キラキラ光るビー玉のような目に無言で射すくめられ、紗綾はたじろいだ。
その時、発車のメロディが鳴り、女の子は何も言わずに目をそらすと、発車間近の地下鉄へと駆け込んでいった。
(……不審者だと思われたかな?
……子どもは知らない人としゃべっちゃいけないもんね。)
気を取り直し、ホームの階段を登る。
改札を通り抜けて出口の階段を一段一段上っていると、地上から冷たく乾いた空気が吹き込んでくる。
徐々に地下の埃っぽく淀んだ温かさと入り混じり、そのうちにほとんどが晩秋の夕方の、ひんやりした空気に切り替わった。
階段を上り終えて歩道に出ると、いつもと違う光景が広がっていた。
正確に言えば、建物や道路などはまったくいつもと変わりない。
ただ一つ違うのは、街路樹という街路樹、そして枝という枝にひとつ残らず電飾が施され、町そのものがうっとりするくらいにロマンチックで、金属的な輝きに満ちあふれていた。
つまり、来るべきクリスマスに向けてのライトアップが始まったのだ。
(ライトアップ、今日からだったんだ!知らなかった…)
そして、そこには…
仲睦まじく、そして楽し気にいそいそとスマホを構えるカップルたちが、あちらでも、こちらでも撮影に興じている。
紗綾は様相を一変させた街並みに少し驚きながらも、うらやましさを禁じ得なかった。
自分以外の誰もかれもが、正真正銘キラキラと輝いて見える。
(いいなあ、みんな、幸せそう……)
なるべくカップルの撮影を邪魔しないように、気を付ける。
誰も写りこまないようスマホを真上に向け、一枚だけイルミネーションの写真を撮った。
そうしている間にも、わらわらと増えてきた人たちで路上は一層混雑し始めた。
「こっちの方が綺麗に撮れるよ!」
強引に入ってきたカップルにぶつかられ、紗綾は押しのけられた。
「…ごめんなさい!」
小声で謝って離れると、目指す方向へ右往左往しながら向かった。
この周囲の人だかり、そしてあちこちで撮影中のカメラを回避しながらだと、到底いつもの速度では歩けそうもない。
(遅刻するといけないし、いつもの道は諦めよう。)
遠回りになるが、並行する別の道を利用しようと、紗綾は角を曲がった。
ブブ!
スマホの振動に気づいて確認すると、友人の唯からメッセージが届いている。
『ごめん!来月24日の予定なんだけど、25日に変更してもらってもいいかな?』
来月24日は、唯とクリスマスケーキの食べ比べをする予定だった。
『OK。25日はバイト入ってたかもだから、あとで確認して連絡するね』
紗綾は返信すると、ため息をついた。
(唯にも、とうとう彼氏が……。)
今まで、紗綾に彼氏がいたことは一度もなかった。
高校の同級生も、大学の友達も、いつの間にか彼氏が出来ている。
(子どもの頃は、ある程度の年齢になれば、自然と恋人が出来ると思っていたんだけどな…)
紗綾の通う学部は女性がほとんどを占めているので、学校と自宅を往復するだけではそもそも出会いがあるわけもない。
以前一度だけ、マッチングアプリに登録していたことはある。
クラスの女子に『みんなで一緒にやってみようよ!』と誘われたのだ。
みんなと一緒なので、いつも何事にも消極的な紗綾だが、おそるおそる勇気を出し登録してみた。
…とはいうものの、メッセージのやり取りは面倒だった。
それでもなんとか続けて、頑張って数人の男性にリアルで会ってはみた……。
しかし、あまり会話も弾まず、ピンと来ることもなく、恋愛の気配なんて微塵も感じなかった。
結局のところ、何もかもを面倒に感じてしまい、すぐ退会してしまったのだ。
(そもそも誰かを好きになったこともないし。こんなんじゃ、いつになったらちゃんとした恋愛ができるんだろう…)
紗綾はコンビニに入ると、干し芋とペットボトルの温かいお茶を買った。
甘い物でも食べないと、やってられないように感じた。
最初のコメントを投稿しよう!