2鼠色

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2鼠色

「干し芋……」 夢と現実の境目でぼんやりしながら、紗綾(さや)は気づいた。 先ほどまでの会話は、ただの夢だったのだ。 たまたま座れた地下鉄に揺られるうちに、うっかりうつらうつらしてしまったようだ。 (随分変な夢だったなあ。とりあえず、寝過ごさなくて良かった) ブレーキに引きずられないよう踏ん張りながら、首を少し振る。 しっかり目を開くと、紗綾は立ち上がった。 淀んだ空気の中を、周囲の乗降客と足並みを揃える。 まだ少し寝ぼけた重い足取りで、ホーム上を地下鉄の階段へと向かう。 (なんだか干し芋食べたくなってきちゃった…。コンビニ寄ろうかな…。) 紗綾がそう思った時、急ぎ足で階段を下りてきた数人の子どもたちとすれ違った。 どの子どもも同じ制服に身を包み、ランドセルを背負っている。 小学校低学年くらいに見える。 すると最後尾にいた一人が、紗綾のすぐ側でズテンと音を立てて転んでしまった。 もしかすると、ホームに到着していた列車に焦ったのかもしれない。 小走りで列車へ向かう他の子どもたちは、まだ気がついていない。 周囲の乗降客たちは転んだ子どもの周りを歩くのを避け、混雑したホームにはそこだけぽっかりと空間が広がっていた。 だが、助け起こす人は誰も居ない。 「大丈夫?」 紗綾は慌てて駆け寄り、転んだ子を助け起こした。女の子だ。 「…大丈夫?どこか怪我してない?」 おかっぱ頭の女の子は、起き上がると、大きな黒い瞳で紗綾の顔をまっすぐに見つめた。 「……」 キラキラ光るビー玉のような目に無言で射すくめられ、紗綾はたじろいだ。 その時、発車のメロディが鳴り、女の子は何も言わずに目をそらすと、発車間近の地下鉄へと駆け込んでいった。 (……不審者だと思われたかな? ……子どもは知らない人としゃべっちゃいけないもんね。) 気を取り直し、ホームの階段を登る。 改札を通り抜けて出口の階段を一段一段上っていると、地上から冷たく乾いた空気が吹き込んでくる。 徐々に地下の埃っぽく淀んだ温かさと入り混じり、そのうちにほとんどが晩秋の夕方の、ひんやりした空気に切り替わった。 階段を上り終えて歩道に出ると、いつもと違う光景が広がっていた。 正確に言えば、建物や道路などはまったくいつもと変わりない。 ただ一つ違うのは、街路樹という街路樹、そして枝という枝にひとつ残らず電飾が施され、町そのものがうっとりするくらいにロマンチックで、金属的な輝きに満ちあふれていた。 つまり、来るべきクリスマスに向けてのライトアップが始まったのだ。 (ライトアップ、今日からだったんだ!知らなかった…) そして、そこには… 仲睦まじく、そして楽し気にいそいそとスマホを構えるカップルたちが、あちらでも、こちらでも撮影に興じている。 紗綾は様相を一変させた街並みに少し驚きながらも、うらやましさを禁じ得なかった。 自分以外の誰もかれもが、正真正銘キラキラと輝いて見える。 (いいなあ、みんな、幸せそう……) なるべくカップルの撮影を邪魔しないように、気を付ける。 誰も写りこまないようスマホを真上に向け、一枚だけイルミネーションの写真を撮った。 そうしている間にも、わらわらと増えてきた人たちで路上は一層混雑し始めた。 「こっちの方が綺麗に撮れるよ!」 強引に入ってきたカップルにぶつかられ、紗綾は押しのけられた。 「…ごめんなさい!」 小声で謝って離れると、目指す方向へ右往左往しながら向かった。 この周囲の人だかり、そしてあちこちで撮影中のカメラを回避しながらだと、到底いつもの速度では歩けそうもない。 (遅刻するといけないし、いつもの道は諦めよう。) 遠回りになるが、並行する別の道を利用しようと、紗綾は角を曲がった。 ブブ! スマホの振動に気づいて確認すると、友人の(ゆい)からメッセージが届いている。 『ごめん!来月24日の予定なんだけど、25日に変更してもらってもいいかな?』 来月24日は、唯とクリスマスケーキの食べ比べをする予定だった。 『OK。25日はバイト入ってたかもだから、あとで確認して連絡するね』 紗綾は返信すると、ため息をついた。 (唯にも、とうとう彼氏が……。) 今まで、紗綾に彼氏がいたことは一度もなかった。 高校の同級生も、大学の友達も、いつの間にか彼氏が出来ている。 (子どもの頃は、ある程度の年齢になれば、自然と恋人が出来ると思っていたんだけどな…) 紗綾の通う学部は女性がほとんどを占めているので、学校と自宅を往復するだけではそもそも出会いがあるわけもない。 以前一度だけ、マッチングアプリに登録していたことはある。 クラスの女子に『みんなで一緒にやってみようよ!』と誘われたのだ。 みんなと一緒なので、いつも何事にも消極的な紗綾だが、おそるおそる勇気を出し登録してみた。 …とはいうものの、メッセージのやり取りは面倒だった。 それでもなんとか続けて、頑張って数人の男性にリアルで会ってはみた……。 しかし、あまり会話も弾まず、ピンと来ることもなく、恋愛の気配なんて微塵も感じなかった。 結局のところ、何もかもを面倒に感じてしまい、すぐ退会してしまったのだ。 (そもそも誰かを好きになったこともないし。こんなんじゃ、いつになったらちゃんとした恋愛ができるんだろう…) 紗綾はコンビニに入ると、干し芋とペットボトルの温かいお茶を買った。 甘い物でも食べないと、やってられないように感じた。
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