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3朱鷺色
(11月ともなると、やっぱり夜は冷えるねえ…。)
秋の空気は乾燥して、月も星も綺麗に見えるが、冷気が空から一直線に降ってくるようだ。
寒空の下を帰宅すると、紗綾の母が明るい居間で、今日買ってきたばかりと思われる着物を広げていた。
「おかえり~。ごはん、テーブルに置いてるよ。あっためてあげようか?」
「ううん、自分でやるからいい。」
紗綾の妹で、高校生の紬があきれた様子で言った。
「お姉ちゃん、どう思う?…お母さん、またこういうの買ってきたんだよ。」
紬はショートカットの髪型に、モコモコの部屋着を着て、炬燵で寝転がっている。
「え~~??そんなに高くないんだから、別に大丈夫よ??そりゃ、お店で着物を新しく仕立てるとなるとすっごく高額だけど~~。」
母は着物が趣味で、アンティークだかリサイクルだかで、時々着物や帯を衝動買いしてしまう。
こうやって買ってきたものを広げている母の姿はいつもの見慣れた光景だ。
「ふーーん。あんまりよく分かんないけど、そんなに高くないんなら別にいいんじゃない?」
紗綾自身は着物にさほど関心はない。
なんだか動きにくそうな印象しかないし、下着だっていろいろルールや決まりがありそうだ。
とにかく面倒くさそう、と思っている。
「………はあ。もうあんまり収納する場所もないんなら、これ以上増やすのはやめた方がいいんじゃない?」
そう言うと、紬はスマホを掴んで立ち上がると、自室へ引き上げていった。
テーブルの上に用意してあった、深皿に入った一人分のシチューをレンジで温める。
寒い夜に帰宅したせいだろうか。
温まって湯気を立てているシチューを口に含むと、おいしさと栄養が体にしみ渡るようだ。
思わず紗綾は笑顔になった。
空腹だしお米は新米だし、秋は何を食べても美味しいのかもしれない。
(これからだと寒くなるから、チョコレートも食べたくなるなあ。それに、季節限定スイーツも出てくるよね…。)
他愛ないことを考えながら、なんとなく母が広げた着物を眺める。
その着物は、一見すると唐草模様に見えるツルと葉の柄、それに小さな花が全体に配置されている。
しかしよく見ると、膨らんだ莢があちこちについているようだ。
どうやら豆のなる植物の絵らしい。
着物を眺めている紗綾に、母が気づいた。
「見て、この着物の柄。珍しいでしょ、豆の絵なの。ウチが遠藤だから、ウチのコたちが豆の柄の着物を着たら、『エンドウ豆』になるじゃない?
面白いと思って買っちゃったの~!!ウフフフフフ」
(なにが面白いのか、よく分からないんだけど……)
爆笑する母にたじろぎながら、紗綾は引っかかったことを尋ねた。
「ウチのコたちって、どういうこと…?」
母はぽっちゃりした自らのお腹をなでながら言った。
「ほら、お母さんはわがままボディだからね。私には小さすぎるサイズなのよ。だから、細身の紗綾や紬が着られたらいいかな?って。それに、柄も若い子向きだし。」
「……それなら買わなきゃ良かったのに!」
「だって、あまりにも可愛いからお店で見た時、つい買っちゃったのよ。ねえねえ紗綾、ちょっとだけでいいから、これ羽織ってみてよ。」
「え、やだ…面倒くさいよ。紬に着せてよ。」
「だって、紬はあんまり乗り気じゃないんだもの。ねえ?ちょっとだけでいいから。」
夕食を食べ終わった紗綾は、母に引っ張られてリビングで無理やり立たせられた。
(ああもう、面倒くさいなあ…)
洋服の上からふわりと着物を掛けられたとき、一瞬、その裏地の鮮やかな赤色が見えた。
少し重みのある、滑らかな絹の感触が服の上からでも感じられる。
なんとなく外気から守られているような、不思議な感覚もする。
「別にいいけどさあ、お風呂入りたいから早く済ませてよね…。」
「任せて~!」
ぽっちゃりしている母だが、紗綾に着物を着せる手つきは意外にテキパキしていた。
腰骨のあたりでササっと紐を締め、伊達締めでウエストを軽く押さえる。
すると、母は高揚した声ではしゃぎだした。
「あら、誂えたようにサイズがピッタリじゃない!良かった~~!それに……」
三歩ほど下がって目を見開くと、着物の上から下まで、視線をたっぷり三往復させる。
そして感嘆の声を上げた。
「可愛い~~!!すんごく可愛いわ~~!!紗綾~!!ほら、ほら、鏡で見てみて!」
紗綾は無理やり姿見の前まで引きずられた。
「もう、そんなのいいからさあ…早くお風呂に…」
(あれ……?)
初めて「それ」を見た瞬間、紗綾は目を疑った。
鏡に映る自分は、なんとなく別人のように見えたからだ。
大胆な豆の蔓のデザインが、着物全体を覆うように施されている。
図案化された実のついた莢や花が、ところどころに配置され、変化を生んでいた。
植物柄の背景には、幾何学模様のグラデーションが入っている。
色使いは大胆だが、絶妙なバランスで調和しているように感じた。
(あれ……?こんなに派手なのに、思ったよりしっくり馴染んでいるような…?)
着物全体の色の七割くらいは、サーモンピンクを淡くしたような色合いである。
そのごく淡い桃色が顔に映るせいか、紗綾の肌は普段より少し色白に見える。
それでいて頬は普段より赤みが増しているように感じた。
「いいわね~~!!すごいわ~~!!似合ってる!!」
母の言う通り、似合っているのかもしれない。
意外だった。
地味な自分は着飾ったところで、似合わないだろう。
いつも、なんとなくそう思っていた。
普段、紗綾が着ている洋服は無地が多い。
もしも模様が入っていたとしても、こまかい模様だったり、地味な雰囲気であることがほとんどだ。
今まで着てきた衣類の中で、このような大きな図柄をデザインしてあったものは、一着もなかった。
「このピンク色、朱鷺色っていうのよ~」
「へえ…。」
紗綾はピンク色の洋服もほとんど持っていない。
「帯も箪笥から出してこようかしら?これに合う帯、あったかな~~?」
母のテンションは止まらない。
紗綾はため息をついた。
「ううん、もういいよ。夜も遅いし、お風呂も入らなきゃだし……。」
「そうお??じゃあ、着たくなったら、いつでも言ってよね~~!合いそうな帯も探しとくから~~。」
名残惜しそうに言いながら、母はちょこちょこと移動する。
そして様々な角度からスマホで紗綾を撮影しまくっていた。
「あ、ちょっとこっち向いてちょうだい……そうそうその角度。いいわいいわ~」
パシャパシャパシャ。
「うーん、今度はこっちね。目線はあっちにしようかしら。」
「もう、勘弁してよ…。」
スマホの撮影音が夜更けに響き続ける。
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