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5烏羽色
「さっきさあ、あの着物の夢を見たんだけど…」
紗綾はトーストをかじりながら、母に言ってみた。
「あら、そんなに気に入ったの?紗綾がそんなに気に入るなんて良かったわ~」
「そうじゃなくて、変な夢なんだってば!あの着物を着てて、周りの景色がなんか昔っぽいっていうか、妙にレトロで……」
温めた牛乳を喉に流し込む。
「アンティーク着物を着たからかしらねえ~。きっとあんまり可愛い着物だったから感性が刺激されて、そんな夢を見たんじゃない?
そういえば紗綾って、妙に想像力が豊かな所があるわよね。感受性が豊か、ってやつ。
ピアノ習うと感受性が豊かになるって言われて、通わせてたからね~。
わりと早く辞めちゃって残念だったけど。……まあ、あの先生厳しかったみたいだしね~…」
「ご馳走様…」
紗綾は使い終わった食器をキッチンのシンクへ移動させた。
ペラペラとおしゃべりが止まらない母には、ため息が出る。
そもそも母に何かを相談するというのが間違っていたのだ。さっさと支度をしないと学校に遅刻する。
「そういえば、ピアノ教室で一緒だったルナちゃん。覚えてるでしょ?一週間くらい前かしら、ルナちゃんのお母さんにスーパーでバッタリ会ったのよ~。
ルナちゃんね、こないだ……」
母の声のテンションが明らかに一段階上がった。
「お家に彼氏連れてきたんですって~!もう大学生だものね~、そういうこと、あってもおかしくないわよね。月日の経つのは早いわ~」
「…そう。」
微妙な笑顔になりながら母は紗綾を見つめてくる。
「紗綾も、早く彼氏が出来るといいわね~。はいこれ、お弁当。」
「…ありがと。」
差し出された巾着袋を受け取る。
(…こんな長話に付き合っていたら、本当に遅刻する…。)
紗綾は洗面台に向かった。
後ろで母が大声を上げる。
「紬~!起きなさ~い!!遅刻するわよ~~!!」
遠藤家は朝からにぎやかだ。
◇◇◇◇◇◇
「今日からみんなと一緒に働いてもらう、烏野涼太くんです。フロアを担当してもらいます。」
新しく入ったバイトの青年を紹介している店長は、いつになく上機嫌だ。
最近はずっとクリスマスのスタッフのやりくりのことで頭がいっぱいなのだろう。
だから、戦力になる可能性のある人間が増えることは大歓迎なのだ。
八の字になった眉毛を大げさに上下させる様子が、いつもより胡散臭さを増している。
「大学生だから、メインのシフトは夜に入ってもらう予定です。みなさん、新人さんには優しく指導してあげてね。」
紹介された青年は背が高くてすらっとしているようだ。
他のスタッフの後ろに立っている紗綾からはあまりよく見えない。
「みなさん、よろしくお願いします。」
一度頭を下げ、姿勢を元に戻したその人の、少し恥ずかしそうな笑顔は半分くらいしか見えていない。
前に立っている男性スタッフたちが邪魔なのだ。
(ああもう、見えないよ……。)
紗綾は半歩ほどじりじりと移動し、首を動かして、もう少しよく見える位置を探した。
「あと一か月でクリスマスだからねえ…。烏野君も順調にいけばしっかりシフトに入ってくれる予定だから、本当、助かるよ…。ヒッヒッヒッ」
前の人の隙間から、やっと見えた彼の、目元、鼻筋、口元、輪郭は綺麗だった。
そして……綺麗だけど、何となく、見覚えがある。
芸能人の誰かと似ているような気もする。
(うーん、誰に似てるのかな?あんな芸能人、いたっけ?)
紗綾がひとしきり考えこんでいると、脳内に、とある男性の、目、鼻、口、輪郭…がモンタージュ写真のように……。
その、新しく入ってきた、烏野涼太の顔と重なった。
紗綾は信じたくなかった。
それが夢に出てきた「良太」と瓜二つだったなんて、あまりにも恥ずかしすぎた。
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