1若草色

1/1
前へ
/9ページ
次へ

1若草色

どこかで小鳥がさえずっている。 少し湿気を含んでいて、それでいてどこかに冬の厳しさを潜ませた、柔らかい風が耳元のおくれ毛を揺らす。 弱弱しい太陽の光が、雲間から辺りをまだらに照らしている。 冬枯れした草むらから、放射状の小さな草花の芽が早くも伸び始めている。 辺りは柔らかい新緑に覆われている。 やがて細々とした、だがしっかりとした甲高い音が、風の音と小鳥のさえずりに加わった。 それはもっと近くで聞こえる。 (何の音だろう?) 辺りをゆっくりと見渡す。 傍らに、坊主頭の少年が座っていて、一枚の葉っぱを唇に当て、鳴らしているようだ。 年の頃は10歳くらい。 つぎはぎだらけの着物を着ていて、草笛を吹いている。 少年はゆっくりとこちらを振り向き、笑顔になった。 「この草で吹くのは難しいから、莢子(さやこ)冬子(ふゆこ)は、こっちの草でやるといい。」 彼は立ち上がって、周りの草から何かを摘み取ると、女の子たちに手渡した。 「ほら、カラスノエンドウの豆。 こうやって、端をちぎって、開いて… 豆を取り出したら、出来上がりだ。 これだと、曲はなかなか吹けないけど。」 彼は豆を取り除いた莢を口にくわえ、すぐに鳴らしはじめた。 彼の真似をして、渡されたものを口に当てて、息を送ってみる。 鳴らない。 隣に座っていたもう一人の少女も、同じように鳴らそうとし始めるが、一回ではうまく出来ない。 それでも何度か顔を真っ赤にしながら挑戦していると、少しずつ鳴るようになった。 「そうそう。莢子はすぐ出来るようになったな、すごいぞ。上手いな。」 「冬ちゃんのも、もうすぐ鳴りそうだよ…、あっ、鳴った!!冬ちゃんも、私も、二人とも音が出るようになったね、やったあ!」 「二人とも、やるな。すぐに俺より上手くなるんじゃないか。」 三人でしばらく練習していると、やがて小さな男の子の集団が通りがかった。 どの子もやはり、つぎはぎだらけの着物に丸坊主だ。 「リョウ兄ちゃん、こんなところで座ってないで、こないだみたいに野球ごっこしようよ。」 「野球って言ったって、今日はボールもないだろ?また今度だ。」 「ちぇっ。・・女の子たちと何やってるのかと思ったら、草笛かよ。そんなの鳴らすの簡単だろ。俺たちにだって出来る!!」 「俺も出来るし!!」 男の子たちも次々に豆を摘み取り、先を争って挑戦し始めた。 しかし、なかなかすぐに音は鳴らない。 あっという間に飽きたらしい一人が、気づかなくて良いことに気が付いた。 「あれ???莢子が莢を笛にしてるのか??・・・ハハハハ!!サヤコがサヤ吹いてる!!サヤコがサヤを笛にしてる!!ハハハハハハ!!!!」 「本当だ!!サヤコがサヤ吹いたら、共食い、じゃなくて、共吹きか?ギャハハハハ!!!」 「ギャハハハハハ!!ほら、吹いてみろよ、サヤコ!!うまく共吹きしてみろよ!!」 うつむいた莢子の視界はみるみる歪み始め、自らの膝あたりの着物の縞模様もぼやけて見えた。 リョウ兄ちゃんと呼ばれた少年が、のんびりと、穏やかな口調で口を開く。 「おいおい、女の子をからかって、それで勇士になれるのか?愛国烈士、爆弾三勇士だったなら… たとえ尋常小学生の時分であっても、そんなことしなかったんじゃないか?」 男の子たちはピタリと黙った。 「たとえば今、勇士が尋常小学校一年生で、ここに居たとしたら…」 リョウ兄ちゃんは、少し間を置いた。 「どんな任務を任されるだろうな?」 「爆弾を、抱えて、トツゲキする!」 「爆弾三勇士だ!!」 「あの木を目標にしよう!!トツゲキだ!!」 男の子たちは、空中で見えない何かを大事そうに腕で抱えた。 そしてその腕の形を保ったまま、興奮と緊張の混じった面持ちになると、突然走り去った。 どうやら遠くに見える木に「トツゲキ」するらしい。歓声が遠ざかる。 「莢子、大丈夫か?」 「うん…」 「あいつら、ああやって要らないことばっかり言うんだよ。本当に腹立つよね!気にすることないよ、莢ちゃん。」 冬子も憤懣やるかたないという様子で口をはさむ。 「お兄ちゃん、あんな奴ら、殴っちゃえば良いのに!!」 「おいおい、俺はあいつらより三つも年上なんだぞ?チビたちを殴ったら弱い者いじめになるじゃないか、そんな訳にはいかないよ。」 リョウ兄ちゃんは冬子の怒りをまったく気にしていない。 「それにしても莢子は泣かなかったな、偉いぞ。」 「ううん、本当はちょっと泣きそうになったよ。でも我慢したの。」 「ハハ、そうか、偉い偉い。」 二人に慰められて、莢子の気分はほとんど元に戻った。 改めて身じろぎしてみると、懐で何かがガサガサと音を立てた。 紙包みが入っているのに気づき、取り出して開いてみる。 そこには干し芋の切れ端が数切れ入っていた。 「あっそうだ、私、干し芋持ってきたの。 干し芋好きなんだ。みんなは好き?」 莢子は甘いものが大好きで、嫌なことがあっても美味しいものさえあれば、すぐに気分が元通りになる。 「美味しいよな、好きだよ。」 「私も大好きー!」 「じゃ、みんなで食べよう」 そそくさと三人で分配する。 「うわあ、莢ちゃんありがとう!」 「ありがとうな」 「干し芋、干し芋」 つぶやきながら、両手の指先につまんだ干し芋を、食べようとして・・・・・ 紗綾(さや)は目覚めた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加