本の王国

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 私は、恋というものをしたことがなかった。  だからなのだろう。  本の数を減らさないために、子供を作る。子供を作るためには、二冊の本が必要であり。故に、本たちは結婚する。  ……などと。  そんな、数学の計算みたいな論理で、生殖活動を捉えていたのは。  『写本』に限定した増殖方法に切り替えていくべきだ、などという、無味乾燥な考え方を提唱しようとしていたのは。  ああ。  バカだった。  私たちは、減らさないために、本と恋人同士になるのではない。  本の中身をより豊かにし、本の王国を発展させていくために次の子供を生むのではない。  好きだから。  好きで好きで、どうしようもないくらい、好きだから。  そんな相手と自分の活字が混ざったら、一体どんな文学が生まれるのかと、ワクワクして仕方がないから。  だから。  私たちは出会うのだ。  私が惹かれたのは、茶色くくたびれた表紙の本だった。細い黄金の栞が、すっと間に通っていて。同じ黄金色の焼き文字が、表紙に印字されていた。  料理本だった。  今時、純粋な料理本というのも珍しい。  どこかで冒険活劇や推理小説などと混じり合い、不思議にポップな挿絵や唐突な詩などが挿入されているものが多いのだけれど。  その本は、だいぶ古いものらしかった。  手入れがしっかり行き届いていて、よくぞここまで美しい状態に保たせたものだと感心してしまう。  論文執筆の手引書である私と、古い時代のレシピ本。  一目見た瞬間、私たちは繋がりあった。  “あなたこそ、私の運命の一冊“  どちらも何も言わなかったけれど。互いの心は通じ合った。  私たちは歩み寄り、まっすぐに目を見つめて微笑んだ。 「「———結婚してください」」  同時にそう口にした時、その想いは確信に変わる。  私たちは好き同士で、これから結婚して、子供を生む。  私は笑った。  心から笑った。  ページを開く。重なり合う。活字を溶かし、融合させ、そして、再び構成する。魔法のように、紙が出現する。真っ白な、紙が。踊るインクが、炙り出しのように焼きつき、浮かび上がってくる。  そうして、子供が。  私たちの子供が生まれてくる。  ああ。  幸せだ。  ———私はもう二度と、机の上だけで、本の王国の未来を考えたりするものか。 (完)
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