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プロローグ
僕が住むアパートから歩いて十分。鄙びた商店街の端に夢屋と言う名前のカフェがある。レトロなと言えば聞こえはいいけれど、SNSでの映えを気にする女子たちはまず来ない。そんな店だ。
そこで僕は先月からバイトをしている。
そして今日もバイトだ。
「義人さん…っ!」
夢屋の扉を勢いよく開けると、カランコロンとドアベルが懐かしい音を立てた。するとカウンターの中にいた義人さんが、鬱陶しい前髪の向こうからパチパチと目を瞬かせて僕を見る。
義人さんはこの店のオーナーで店長だ。歳は聞いたことがないけれど、たぶん三十歳前後。ヒョロっとしていて、ギリギリ170センチに届かない僕より5センチは背が高い。もっさりした前髪が目元を覆っていて見えにくいけれど、目はぱっちりとした二重だ。鼻が高くて唇はちょっと厚め。きっと髪を切って申し訳程度に生えている無精髭を剃ればイケメンが出てくるに違いない! という容姿をしている。
けれど、たぶん、本人は自分の姿形に興味がないのだ。
服だってヨレた濃グレーのスウェットで、その上からつけている黒いエプロンだけが唯一ピシッとしている。
接客業をナメているのか。とバイトの僕が問いたくなるような出で立ちだ。
「どうした? 朔」
カウンターに手をついてはぁはぁと乱れた息を整えていると、義人さんが水の入ったコップを出してくれる。それからちょっと首を傾げて、テーブル席の方を見た。
夢屋は狭い。入口を入ると正面にカウンター席が五つ。右手に四人掛けのテーブル席がひとつ。その隣にやけに立派な柱時計がある。かなり古そうな柱時計で振り子があった部分は壊れて使えなくなったから、と物入れになっているらしい。それでも時計の方は現役だと言うのだからびっくりだ。
たぶん義人さんはその柱時計で時間を確認したんだと思う。
今は十五時三〇分過ぎ。僕のバイトは十七時からだ。
「あの、今日、講義が午前中だけで、午後からは家にいたんですけど」
「うん?」
「お昼ご飯食べてうたた寝してたら……見ました! とびっきりの悪夢!」
「マジで?! 偉いっ! 朔!!」
僕の報告に義人さんは手を叩いて喜んで、それからよいしょとカウンターの中から手を伸ばして、僕の頭をぐりぐり撫でた。ぐりぐりぐりぐり撫でられて、ペットってこんな気分なのかな? と実家で飼っている犬を思い出した。
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