灯台下クラシ

4/10
前へ
/10ページ
次へ
 楓樹から詳細を聞くこともなく文化祭と定期テストが終わり、三者面談が始まった。担任の安田先生と何を話せばいいのか分からないまま私たち親子の面談の日が来たのだった。 「あのぉ先生、楓樹の成績は……」 「長谷川くんはどの教科も安定して平均点は取れていますし、これから頑張れば難関校も目指せると思いますよ」 「そうですか」  安田先生は若い女性の先生で国語を担当している。少しふくよかで愛嬌が良く、安田先生がいるだけでその場の空気が柔らかくなる感覚がした。この可愛らしい声で授業をされたら眠気に誘われてしまいそうだと思っていた。しかし家では何も教えてくれないんですよぉ、とは冗談でも言えなかった。教室で隣に座る楓樹の顔は無機質な能面のように冷たく無表情で、私の方が早くこの時間が終わって欲しいと思ってしまった。  とりあえずは成績に問題がないようで安心しつつ、当たり障りのない会話を続けて残りの面談の時間を潰していたら、不意に安田先生が思い出したように話し出した。 「あ、そうそう、色んな子たちから『ふーちゃん、ふーちゃん』って呼ばれてじゃれてて。何だか微笑ましいなぁっていつも思って――」 〈バンッ!!〉 「な、何⁉」 「あ!……ごめんなさい、その、足、動かしたらぶつけちゃって」 「あら大丈夫?」 「大丈夫です、すみません」  安田先生の話の途中で楓樹から大きな音が鳴って驚いた。膝で机の下を思いっきりぶつけた音だった。照れ笑いのような表情を浮かべ頭を掻きながら、まるでドジをしたかのように可愛らしく対応する楓樹に恐怖を感じてしまった。私には話を遮るためにわざとぶつけたようにしか思えなかった。こんな大人を騙す演技をするような子だった? 「先生、もうそろそろ時間ですよ」 「あら本当ね。ありがとう長谷川くん」  安田先生は何事もなかったかのように面談を終了させた。冷たい表情でいたと思ったら足をぶつけて笑顔を浮かべて……私には楓樹の感情は不安定に見えた。教室を出ると楓樹はさっさと家へと帰る為に足早に去ってしまった。私はまだ心臓が嫌な音を立てている。先生から見たら、こういう子供の行動は思春期特有のものでしかないのだろうか。それとも……忙しい先生たちのことだ、気になったとしても深く関わろうとすることなんて出来ないのかもしれない。家庭の問題を学校に持ち込んではダメだとは分かっていても、担任の先生の力を借りて楓樹のことをもっと知ることができたらいいのに。 「あれ?長谷川くんのママ!」 「あ、莉子ちゃん」  学校から出る途中、放課後の部活中だからか、運動着を着た莉子ちゃんと遭遇した。休憩中なのだろうか、少し離れたところでは水分補給をする同じ運動着を着た女子生徒たちの姿が見えた。 「三者面談ですか?長谷川くんは?」 「楓樹はもう帰ったの」 「そうですか……長谷川くん、大丈夫ですか?」 「え?」  莉子ちゃんが神妙な顔をして聞いてくるものだから身構えてしまった。前に会った時よりも随分身長も伸びて顔つきも大人っぽくなっている莉子ちゃんに、つい大人と話しているような気持ちになっていた。 「それってどういう意味?」 「いえ別に……何もなければ大丈夫なんですけど……あ、すみません、部活戻らないと」 「あ、うん。頑張ってね」 「はい!ありがとうございます」  運動部らしい爽やかな挨拶をして莉子ちゃんは去って行った。こっちはモヤモヤが残ったままだけれど。 「――ねぇ、あれが噂のママ?」 「ちょっと、聞こえるって」  もう帰ろうとした時に聞こえた女子生徒の会話に思わず振り返った。私の視線に気づいてそそくさと女子生徒たちはキャッキャと声をあげながら逃げて行った。賑やかな校庭のすぐ傍だけれど、ヒソヒソ話の方がかえって良く聞こえるってことをキミたちは覚えておいた方が良いよ。そんな大人のアドバイスを心の中でしながら、私は聞こえた会話の意味を考えていた。“噂のママ”って何?私のこと?……担任の安田先生の言葉が思い出される。 ――あ、そうそう、色んな子たちから『ふーちゃん、ふーちゃん』って呼ばれてじゃれてて。何だか微笑ましいなぁっていつも思って  良い意味で考えるならば……楓樹は本当に人気者で、それで“噂のママ”ってこと?学校で人気者なことを私に知られるのが恥ずかしくて、安田先生の言葉を遮るようなことをしたとか。でも、それならあの莉子ちゃんの様子は一体……。 ――うまオムライス『ふーちゃんはきっと学校で人気者ですね!』  余計なSNSの返信のことまで思い出していた。あぁもう、あれは適当に言ってるだけの愉快犯に違いないんだって。私の中でそう答えが出来ていたじゃないか。楓樹が人気者である方が嬉しいけれど、あんなふざけたアカウントの言葉を信じたくはなかった。結局私は時間が経つほどに多くのモヤモヤを抱えながら家路についた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加