惚れてしまえばいいさ

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惚れてしまえばいいさ

 絹糸鈴(きぬいとりん)先輩といえば、ソフトボールの授業でピッチャーを任されると、他のクラスメイトには繰り出せない変化球を多用するし、サッカーをするとなるとラインを割る前に相手にボールを当ててコーナーキックを得るというような技を使うし……で、他の生徒から好まれていなかった。  でも、そういう技を見せないと、体育の成績を良くすることはできない。評定平均値を高くして、推薦で大学へ行くという目標を持っている鈴先輩からすれば、三年間の付き合いでしかない「路傍(ろぼう)の人たち」にどう思われても構わないのだろう。  ひとりでいることに、なんの寂しさも感じていなければ、抵抗しようという意気込みもないらしい。学校のどこで見かけても、誰かと一緒にいることはない。一匹狼のような、孤独の美学をまとっている。  で、そんな鈴先輩から手紙をもらったのは、昨日のこと。下駄箱のなかに入れられていたのなら、誰かの悪戯(いたずら)ということもあり得るけれど、本人から直接渡されたのだから、それはもう、疑うことなく先輩が(したた)めたものに違いない。  この手紙の有効期限は、休み明けの月曜日の夕方らしい。三枚の便箋に書いてあることがすべて本当のことなのだとしたら、僕のひとつひとつの言動は、自分が思っているよりも、げんなりするものであるようだ。  特徴がないことが特徴であるという言葉を、進んで内面化してきたはずなのに。僕はこれほどまでに、個性的な人物に見えているのか。というか、あの鈴先輩が僕のことを見ていた。その事実が、僕の特殊性を如実に物語っているといえよう。  先生から呼び出しをくらった。グラウンドを横目に、こそこそとプールの後ろへと回り、元は焼却炉があった人気(ひとけ)のないところへ行くと、先生がニコッと笑って手を振ってくれた。夜になると幽霊が出ると噂のあるこの場所も、早朝は(たっと)き存在の真心のように美しい。 「、どうしたの?」 「学校では、先生と呼びなさい。あと敬語」 「梅野先生、どうかされましたか?」  先生然(せんせいぜん)とした態度とは裏腹に、さっさと距離を詰めてくる。 「夏原くんのお母さんが、栄太がラブレターをもらって云々(うんぬん)って言ってたけど、ほんとう?」 「……そんなの、学校で()くことじゃないと思うのですが」 「教師と生徒の関係になってからは、家に遊びに行くのが恥ずかしいのよ。こうしてここで、ふたりでいると、生活指導という風に自分をごまかせるから」  こんな人気のないところで「生活指導」というと、なんだか、いかがわしく思えるのだけれど……。 「いいから、本当のことを言いなさ……って、うんっ、んっ」  梅野先生――香織おねえちゃんの唇を奪って、黙らせてしまう。  もう、鈴先輩からの告白は一蹴することに決めている。こんなぼくを好きになってくれたのは嬉しいけれど、僕には、香織おねえちゃんという、こころから好きなひとがいるのだから。  しかし鈴先輩は、告白を断ったところで、二回目の告白を申し出てきた。二回目も断ると、三回目の告白を……という調子で、ラジオのハガキ職人かと思うほどの頻度で、好きです、付き合って下さいというようなことを言われてしまう。  もうすぐ先輩は卒業してしまうのだから、数か月くらいしかお付き合いはできないという、核心をつく断り方をしたこともあったけれど、ほんの少しでもいいから一緒にいたいと引き下がってくれなかった。  と、こういう風な事態になっていることは、梅野先生――香織おねえちゃんの耳にも入ってきているらしい。誰もこない、あの焼却炉の近くのところへ呼び出されて、ちゃんと自分を好きでいてくれているのかを、何度も確かめさせられた。  しかし、そうされればされるほど、僕がどのような不義を犯しても、香織おねえちゃんは僕を裏切ったりはしないだろうという、甘えきった考えが浮かぶようになった。数か月くらい付き合ったら、また、おねえちゃんのところへ戻ればいい。  だから、鈴先輩の告白を受け入れることにした。すると、僕たちはカップルらしいことを何でもするようになった。それも、こっそりと。鈴先輩は悪目立ちをするのを嫌っていたし、僕は僕で、香織おねえちゃんのことを意識してしまうから。  だけどこうした変化を見逃さないのが、香織おねえちゃんだった。焼却炉のところへ呼び出されて、鈴先輩と付き合っていることを指摘されて、それでも平然としている僕の制服を荒く(つか)んで、涙を流していた。  だけど僕はこころのなかで、あと数か月の辛抱じゃないかと思っていた。それに、鈴先輩とのキスは、おねえちゃんとのよりも気持ちがよかったし、情熱的だったし、刹那的な(はかな)さを感じさせるものだった。いまのうちに、飽きるまでキスをしなければならない。  鈴先輩を僕の家へ上げるのは、おねえちゃんと癒着している家族の手前、どうしても(はばか)られた。だから先輩の家で、僕たちはいちゃつきまくった。  雪がちらちらと降る日、またもや焼却炉のところへ呼び出された。  香織おねえちゃんはコートを羽織っていたし、僕もジャンパーを着ていた。鈴先輩が選んでくれた、紺色に白の縦線が入っている、僕が着るには、どこか大人すぎるものだ。 「絹糸さんの家に行っているのは知ってる」  そんな風に怒られたとしても、もうほんの少しで戻ってくるのだから待てばいいのにと思ってしまう。なぜ、おねえちゃんは、青春というかけがえのないものを認めてくれないのだろうか。教師としての職務を放棄しているのではないか。  焼却炉の上に、雪が散り積もりはじめていた。しかしそれは、(うずたか)くなることはなかった。そのうち、溶けきってしまうことだろう。大ぶりになるには、まだ時期が早いらしい。  すると、おねえちゃんは目線を僕の後ろへ投げて、きっと(にら)んだ。そして僕に横から抱きついて、唇を押しつけきた。後ろに倒れてしまうのではないかと思うほど、強く。舌をいれて、貪ってくる。  雪の塊が落ちるような重い音が響いた。僕の眼にはたしかに、走り去っていく鈴先輩の後ろ姿がうつっていた。  不思議なことに、「終わった」というより、「一段落がついた」という気持ちの方が、前景に浮き上がりはじめていた。  〈了〉
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