第一話

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第一話

この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。 第一話 1e20fd7e-9afd-452e-8576-44f7cfac4356  孤城落日とは、この事かもしれない。大学は家族が猛反対した哲学科、アルバイトは古書店。それだけでは学業と生活が成立する訳は無く、恥ずかしくも仕送りに頼っていた。しかし、それも急転直下、本営の非情な決定により支援打ち切りが決定。ぼくに通告並び最終決断を迫ってきた。  実家に戻り畑を耕すか、実家に戻り米を植えるか。  それに対して、ぼくは第三の選択を提出することとなる。  徹底抗戦である。  まず、アルバイトの時間を増やし、大学から遠い家賃格安の木造長屋に引っ越した。売れる物は全て売り、貯えを増やすことで就職までの長期戦にも備える。携帯端末の料金に関しては、心配いらない。ぼくは機械音痴だ。何年か前に親から支給されたナントカフォンは、ずっと電源を切ったまま右の尻ポッケにいる。すでに解約もしているので、ただの板だ。何故、ただの板を持っているのかは、いずれ説明する時が来ると思う。  怪しい不動産屋に紹介された家は、下町の細い路地の奥、古いたばこ屋とお地蔵さんの祠に挟まれた更に細い路地を入った先だと言われただけで案内はない。くしゃくしゃになったチラシの裏に書かれた住所を探索し、町を歩く。  そこは古い日本映画、寅さんだか小津安二郎作品にでも出てきそうな、か細い路地。  まず目に入った物は、一度、無視をするとして、まあまあ大きな声量で「ぃやさしーいー♪」と唄う赤い髪の……中学生?いや、小学生だろうか?が、家の前に置かれた棚の上のプランターや盆栽に水やりをしていた。 「あの…………すいません」 「あぁん?なあんですか?」 「この住所って、このあた」 「わかりません!」  まだ質問の途中だし、チラシに書かれた住所も見ていないのに……。赤い髪の女の子は、ぼくを不審者だと判断したのか、また馬鹿でかい声で唄い出した。感情で表情は崩れないが、チラシは感情によって握り潰され、この路地に入ってくる時に先送りしたアレらについて質問をしてみることで、再度、コンタクトを図る。 「あの……あの家の前にたくさん置いてあ」 「ああ。魚人?」  またも質問の途中で答えられ、更に“魚人(ぎょじん)”なる単語が出てきた。確かに“人魚”とは違い、下半身が人間の脚で上半身が魚である。人魚の定義が、下半身が魚で上半身が人間であるとしたら“魚人”という名前は間違っていない。 「ぎょじ…?」 「え?おにいさん、魚人知らないの?ダッセ」  っえ……?アレって流行っているのか?この現代で。いや、もしかしたら一般常識だったりするのだろうか?でも、初めて見る造形の産物だし……やっぱり、流行っているのか? 「見ない顔だね?」 「あ。多分、この辺に引っ越してき」 「自分の家すらわからないなんて、子猫ちゃんかな?」 「犬の……お巡りさん…………?」  ひゅ〜♪と両手で銃のような仕草をされ「君の探している家は、そこだろ?」と指を差された。一昨日、屈強な男三人が家財を運び込んでいたというのだから、恐らく、アルバイトの時間中に荷運びだけを頼んだ友人達だ。  鍵を回し、がたがたがたがらっ、と、レールの上すら不器用にしか走れない玄関戸を引く。薄暗い家の中からは漆喰(しっくい)とカビの匂い、しばらく、そこに留まっていた空気が壁となって襲ってきた。狭い玄関の式間に座り、汚れたスニーカーの紐を解いて、今日から我が総合司令部となった施設を見て回る。一階は台所と便所、洗面台があり、細く急角度な階段を上がると、二階には六畳の間と押入れがある。運び込まれた家財は小さな机と本棚、そこに収められていく本が入った段ボール箱と押入れの前には布団。そして、情け程度の服が風呂敷に包まれ、部屋の端に置かれていた。西陽が留まり、きらきらとしだす磨りガラスの窓を開けて、窓枠に座ると、丁度、肘が掛けられる高さに細い金属製の柵が付いていた。路地を見下ろし、赤い髪の女の子を探してもいなくなっていて、水が撒かれて色の濃くなったアスファルトが見えるのみ。さて、威勢よく第三の選択をしたものの卒業し、就職するまでやっていけるのか。実に心配だ。  少し離れた所で、映画で聴いたことのある豆腐屋さんのラッパが鳴っている。 「晩ご飯、どうしよっか………というか、引越しの挨拶…………」  畳に寝転がると、未だにLEDではなく蛍光灯がはめ込まれ、松の模様か何かが彫られたレトロな照明がぶら下がっていた。現代では、こんな町もご近所付き合いは希薄、というか無いんだろうな。お隣さんは顔を知っていても名前は知らず、隣の隣になれば『誰?』なんだろうと思う。 がしゃ!がしゃがしゃ!がしゃ!  玄関戸が激しく叩かれ、ガラスが揺れる音で飛び起きた。まだ焦点の定まらない目を擦り、暗くなった狭い階段を急いで降りる。 「はいはいはいはい!」 「おー!?目覚めはいかがっすかあ?」  玄関に立っていたのは、赤い髪の女の子だ。な、なに?と聞いても、それは無視され「何、鍵とかかけちゃっての?都会じゃあないんだからさあ、大丈夫だって」と仁王立ち。いや、鍵はかけないと防犯上の……「こんなボロ長屋に泥棒なんて来ない、来ない。後、おにいさん、何も持ってなさそうだし」と、まあまあ失礼な事を子どもに言われてしまった。 「あのさ、君。大人に向かって失礼な事を言」 「ったら、どうなるの?」  またも、ぼくの言葉を奪われ、ずいっと顔を近付けられる。何だろうか、ぼくは馬鹿にされているか、こんな女の子に遊ばれているか?……いや、どちらも、という事もあり得る。 「おにいさん、いくつ?」 「二十歳……だ…ですけど」 「小童が」  赤い髪の方は【悠希(ゆうき)さん】といって年齢を二十八歳だと免許証まで見せてくれた。二人で路地を歩きながら思う、歳上、だと?と。 「お前さあ、人を身長で判断したろ?」 「いや……まあ……はい、すみませ」  また言葉を遮りふくらはぎに素早いローキックを入れてきた。悠希さんが、ぼくを叩き起こした理由は越して来たばかりだから、この町の事を知らないだろうと銭湯まで案内してくれるとの事だった。 「あ、あの〜引越しの挨拶とか……ぼ」 「ああ。声だけ掛ければいいよ」  あの長屋に住む人たちは、それぞれに色々ある。だから、特に“物品”を用意しなくても、あなたのことを受け入れる。そういう心意気の良い人達ばかりが住む長屋。山椒魚町(さんしょううおちょう)河童(かっぱ)四丁目三番地。 「ところで?君の名は?あ。映画じゃないよ、質問だよ」 「えっと、湖径……こ・み・ちと言いま」 「へえ。哲学の道か文学の小径か。いいんぢゃん?」 「まあ。良いのか、悪いの」 「あぁ。もしかして、哲学専攻してるとかあ?」 「……そうで」 「我思う故に……何とかだ?君は何で哲学なのかな?」 「ぼくは…………この世界が、何故、廻」 「ここだよー」  全て話を切られると思っていた。知ってた、もう慣れた。把握した。  これもまた古めかしい木造と古いタイル張りの“河童浴場”という銭湯。銭湯の前に置かれた木製のベンチにはステテコ姿のご老人方が首に手拭いをかけ、団扇をあおいでいる。 「ほいじゃ、ここでっ」 「あっ、あのっ?悠希さ」 「何だ?一緒に入りたいとか?即お縄デビューだよ?」 「今日は、ありがとうございま」  やはり全てを言い切る前に手をひらひらとさせて「ぃやさしーいー♪」と唄いながら、銭湯の暖簾(のれん)を……暖簾に背が届かず、下を抜けて行った。でも、暖簾を手で払う仕草だけはしていた………。 「風呂は……心の洗濯か……」  呟いて、おじいさんばかりの浴槽に浸かり天井を見上げていた。すごく大ヒットしたらしいアニメの台詞らしいが、哲学的にはなかなか面白い視点だと思う。そういえば、長屋に越してきて、まだ悠希さんと魚人の置物、おじいさん、おばあさんのご年配ズとしか会っていないな。“心の洗濯”なんて言ってくれるスタイルの良いお姉さんは住んでいるのか。  風呂から上がり首を振る扇風機の前で涼をとり、横目でガラス張りの冷蔵庫を見る。中に入っているのは、映画でよく見る瓶入りの牛乳やフルーツ牛乳、コーヒー牛乳だ。今、この熱い身体に流し込んだら美味いだろうと思ったが、長期戦を目の前にし、買うのはやめた。とぼとぼと外に出ると飛んでくる高く馬鹿でかい声。 「っおっせーなあ!!何してたんだよっ!!」 「え?先、帰ってても良かっ」 「どうせだから、飯行こうぜ!」 「いや、でも……ぼくはお金があま」  お姉さんがおごってやる!着いてこい!と、半ば強制的に近くのラーメン屋まで連れて行かれた。この町は、狭い路地だから“人の匂い”が近くて、どこか生活や人生が交わっているような感覚がする。  夜中、扇風機すら無い部屋で、汗の不快に目が覚めてしまった。タオルで汗を拭い、月明かりで淡く光る窓を全開にして、夜の涼しい空気を招き入れる。  “泥棒なんて来ない”か。  部屋に入り込む涼やかな空気と月の光。引越してきた初めての夜、お酒とはいえなくとも炭酸ジュースの祝杯くらいいいだろうと、長屋の入口に自動販売機があったことを思い出した。こんな時間にうるさいだろうからと、ゆっくり玄関戸を開けても、がっ、が、がら、らっ、がたっ!と見事に一音一音がうるさかった。長屋の路地には外灯がなく、見えるのは長屋の外にある自動販売機の光。汚れたスニーカーの踵を踏み、ずくずくと進む暗い路地の闇に一点の光。橙が蛍のように灯っていた。煙草の匂いだ。 「おう。小僧、眠れねえのか?」  低く“ドス”の聞いた声。魚人が並ぶ家の前に置かれた木製の長椅子に“魚人”が腰掛け、煙草を吸いながら団扇を仰いでいた。ぼくは、あんぐりと口を開け驚きすぎて、何も感じない。それを見ていた【魚人のおっちゃん】が、その渋い声で、 「俺ァの事は内緒だぞ。なあ?そこでジュースでも買う気か?」 「え……………あ、え?……あ、はいっ……」 「気を付けな」  その言葉と発するだけで意味ありげな声に、喉が鳴る。 「あの自販機は、たまに百円玉を喰うからな」 「……………え?」 「認識しねぇんだよ。喰っちまって、返ってもこないから気を付けろ」 「か、管理会社に電話……」 「何度もしたがなァ、いつも留守電だ」  そう言って鱗のどこからか、ぼくは板と化しているナントカフォンを取り出し、巧みに操作をしだした。女子高生のように目に見えない速度で指が動き、その度に“ぽこっ、ぽこぽこっ、ぽこっ♪”とフリック入力の効果音が響く。それから魚人のおっちゃんに百円玉を入れる時のコツを教わった。 「小僧。これから、よろしく」 「え、あ。よろしくおねがい……します……」  ここは、現代日本。どこぞの都市の離れ、ベッドタウンの中心からも遠い、古い下町が残る山椒魚町河童四丁目三番地。 …………………………………………………… この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。 第一話、おわる
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