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10.
名和家は“千客万来”となった。
名和の母は、事件が起きたせいでみんな不安になっているから集まりたがってるのねと解釈したらしく、特別なこと――事件に関する重要な話し合いが行われるとは思っていないようだ。
「ゆっくりしていってね」
そんな優しげな言葉を残して、ドアを閉めると、ぱたぱたとスリッパの足音も高く、去って行く。
「と言われたからって、ゆっくりしてもいられない」
石動は単刀直入に始めた。田町に向けて問う。
「何か重大な証言があると聞いた。皆のいる前でも問題ないんだね? じゃあ話して欲しい」
促された田町は、最前、名和や牛尾に伝えた通りのことを改めて話した。
石動は、そんな告白をどう受け止めたのか。いくつかの指示や依頼を電話でしたあと、しばらくは黙したままでいた。が、やがて手のひらを凝視する仕種をしたかと思うと、田町に質問をした。
「念のための確認になるけど、合鍵は一本だけ? 新たにコピーが作られてはいない?」
「そのはず、です。桜井君が言っていた。たくさん作っても、先生にばれやすくなるだけだって」
「その合鍵、昨日預かってから、誰かに又貸ししたり、一時的にでも紛失したりはなかった?」
「も、もちろんです。大事な鍵なんだから」
「その大事な合鍵を、昨日の昼休みから今朝まで、ずっと持っていた」
「そうよ」
どぎまぎしているのが手に取るように感じられた田町だったが、徐々に慣れてきたらしい。石動の方もようやく穏やかな顔つきになった。
「それなら大勢に影響なしだね」
「え、そうなのかい」
無意識の内に聞いたのは名和。嬉しいことなのに、予想外の反応だったため、つい確認したくなったのだ。
「合鍵があっても、アリバイのある人物がずっと保持していたのなら、なかったのと同等だよ」
「そう……なのかな」
「雪の件があるから、死亡推定時間帯の午後九時半から十時半の間、学校が一種の密室状態だったことにも変わりがない。要するに、田町さんの行動に説明が付いたというだけのこと」
それならばまあ喜ばしいことではあるが、どこか腑に落ちない名和。
「それとも何かい? もしかして名和君が彼女から合鍵を借りて、夜の学校に塀を乗り越えて侵入し、犯行を成し遂げたとでも?」
名和は頭を左右に激しく振った。
「ならば合鍵の話は決着だ。まあ、確認は今取ってもらっているけれども。それよりも、僕が再度、ここに足を運んだのはもう一つの目的があったからで」
名和から田町に視線を移動した石動。
「田町さんが確実にここにいると分かったから、来たんだ。聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるかな」
「え、ええ」
またどぎまぎが戻って来た様子の田町。名和は思わず、身を乗り出していた。
「そんな恐い顔をしないでよ、名和君。僕は粛々と探偵業に精を出すだけさ。疑いが晴れたら速やかに立ち去るし、必要であれば謝罪もする」
「……何か新しい発見があったのか」
「鋭いね。できれば人払いしたかったんだけど、君の家に来ておいて君に出て行けでは通らないだろうし、このまま進めるよ。――桜井茂の遺体を詳細に調べたところ、その制服の表面、胸や腹、背中から女性の毛髪が見付かった。色調、長さから田町さんの髪と非常に類似している。現在、より詳細に照合中だ。尤も、自然に抜け落ちた髪らしく、それだと完璧なDNAの鑑定は困難が予想されてね。田町さんの母君にDNAを提供してもらえるのが望ましいのだが、現状では強制できない」
一息に喋られて理解に時間を要したが、つまるところ、現場に田町由香莉の物と推定しておかしくない毛髪があった。完璧な鑑定は難しいので、本人に直接聞きたいという経緯らしい。
名和と牛尾は田町を振り返った。彼女はきょとんとして、それから小首を傾げた。
「それが何?」
「毛髪は極最近に抜けたものだ。仰向けの遺体の上半身に、上から落ちた感じだね。昼休みに会ったときに、胸や背中はともかく腹に着くとはなかなか考えにくい。昨日も結構寒かったから、制服の上を一時的に脱いだとも思えない。仰向けの桜井茂を見下ろす姿勢が一番納得が行く。昨日から今朝にかけて、田町さんは桜井に対してそういう体勢になった覚えがあるか、聞かせてもらいたい」
「何事かと思ったら。そりゃそうよ」
緊張が解け、笑みを浮かべた田町。
「朝、私が桜井君を見付けたとき、すぐそばまで近寄ったと言ったでしょう? そのタイミングで髪が落ちたのよ、きっと」
「最初は僕もそう推測し、スルーしそうになった。だが引っ掛かるものがあって、ちょっと立ち止まってみたんだ。田町さん、君は今日の朝から、桜の香りをさせていたそうだね。今もだけど」
「香り付きの制汗スプレーを使ったから……」
「なるほど。ところで、遺体に付着していた毛髪は、スプレーを浴びた形跡はないようなんだ」
「――」
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