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13.
「短い呻き声を上げて……あんまり思い出したくないのだけれど、ここまで喋ったら、もう言わなくてはだめなのよね」
「そう願いたい」
「……呻いて、静かになって、蹲ったわ。それから『痛え』とか言いながら、床に仰向けに。血が少し出ていた。児島さんも渡部さんも狼狽えてた。どうしようどうしようって繰り返したり、桜井君に謝ったりして。私はポケットティッシュを出して、血を拭って上げようと思ったのだけれど、二人が邪魔ですぐにはできそうにない。そのときふと転がったままの顕微鏡が目にとまって。拾ってテーブルに置いてから、丁寧に全体を拭ったわ。そのあと、二人が多少落ち着いてきたから、桜井君のそばに駆け寄って、血を拭いた。髪の毛が落ちたのはこのときかも。桜井君、“事故”のきっかけを作った児島さんと渡部さんに対しては、邪険に腕で払う動作をしていたのに、私が近くに来たら大人しくなったから。だから、二人の髪の毛は、彼の身体の上に落ちなかったのかもしれないわね」
思い出したくない出来事を語りつつも、冷静に分析してみせる田町。
「桜井君はずっと意識があって、命に別状があるなんてとても見えなかった。その上、あんな目に遭って血まで出たのに、怒らずにいてくれた。きっぱりと、『まだ誰とも付き合ったことないから。明日になれば分かるから』って言ったのよ。もう信じるしかないでしょう?」
「確かにね。しかも君達に希望を与える言葉に聞こえる」
石動は口ぶりこそ軽めだったが、表情は厳しくなっていた。
「そのあと、どうなった?」
「病院か、せめて保健室へ行こうと言ったんだけど大丈夫だって、桜井君。一人にしてくれ、しばらく休んでから帰るって。椅子に座り直してまた筆記用具を出す様子だったから、本当に大丈夫なんだと思えた。私達三人は部屋を出て、ばらばらに帰ったわ」
「準備室から去る間際、桜井の姿が見えていた?」
「ええ。扉を開けて、すぐ目に入る位置だった」
「当番の西谷先生が見回りに来たときは、見えにくい場所に移動していたことになりそうだな」
考えるためか、口を閉ざして静かになる石動。
名和はその間、田町に何か言葉を掛けようとした。しかし、感性を総動員しても何らよい言葉は浮かばない。
「田町さん、事実なら、関係している女子二人と早く会うか、少なくともいつでも連絡が取れるようにしておくべきだ」
牛尾が言った。
「連絡ならいつでもできるわ」
「だったらすぐ取ってみたら? 児島さんと渡部さん、二人ともに知らんぷりされたら、君だけが立場を悪くする」
「そんな」
「クラスメートといったって、元々、恋敵だったんだろう? 己かわいさに保身に走ってもおかしくない」
牛尾の極論を、名和は今日何度目かの驚きを持って聞いていた。こんなにドライな計算ができる奴だったんだ、と。
「名和もそう思わないか?」
「あ、ああ。僕は何とも言えないけど、最悪のケースに備えるのは大事だと思う」
「そう言うんだったら」
携帯端末を手に取る田町を、やり取りを聞いていたのか石動が手で制した。
「しなくていい。現在、児島さんと渡部さんには、見張りが付いている。最低限、身を隠されないようにするためだが」
「見張り? って、それ、警察の人?」
「違う。警察だって張り付いているかもしれないけど、僕が言ったのは、僕と同じ学内探偵」
「なに、他にもいるのか」
「当然。考えれば推測可能だろ。少なくとも一人、女子の学内探偵がいるとね」
言われてみれば確かにそうだ。
「石動を含めて、三人以上いるんだな?」
「イエスとだけ答えとくよ。あっ、今回は僕が主導しているんだ」
一体全体いかなる組織系統になっているのか。尋ねても教えてくれまい。こうして石動が正体を明かしていること自体、特例と言えよう。
「さて、こちらが掴んでいる情報でも、大森さんが以前から桜井茂と付き合っていたという話は全く出て来ていない。恐らく、大森さんのブラフ、はったりだったのだろう」
石動の見解に、田町が「あの女――」と舌打ちする。
「まあまあ、落ち着いて。大ごとになってしまったが、桜井が嘘を吐いていなかった点だけは、よかったと言えるんじゃないかな」
「そんな悠長なこと言ってられないわよ。下手したら私達みんな捕まるでしょ? 傷害か何かで」
「今さっきの話が正確なら、田町さんは関係ないみたいだけどね。事故ということで決着したいのは山々なんだけど、当事者が命を落としたからな」
「桜井が死んだのって、さっきの怪我と関係あるのか? 確か、二度、殴打された痕跡があったと聞いたから、二度目の殴打で亡くなったんだとばかり」
名和が捲し立てる風に聞き返す。その勢いを押さえつけるかのように、石動は両手を広げた。
「推測の域を出ないんだが、死亡推定時刻に人の出入りがなかったことが雪のおかげで証明されている以上、状況を説明可能なのはこれしかないんじゃないかという仮説が浮かんでいる。つまり――頭部に衝撃を受け、脳内出血が起きたとして、その量がごく僅かずつになる場合がある。最初の内は本人がたいして重傷じゃないと判断し、自由に動き回れることすらある。だが、きちんと診察・治療を受けないまま過ごしていると、徐々に血が溜まって脳にダメージを与え、不調を来す。動作に支障が出て、たとえば前のめりに倒れ、机の角で頭を打つなんてことも起こり得る。桜井茂は恐らく今言ったような過程を辿り、亡くなったんじゃないか、と」
「――いやいや」
名和は反論の声を上げた。
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