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「いや、記録は残したくなかったはずだし、事実残っていなかった。ややこしく考える必要はない。第二理科準備室は一階にある。窓をこんこんと叩けば、最初は驚かれるかもしれないが、開けてくれるだろう」 「謎の人物と桜井はかなり親しかったことになるな。夜の学校で、そんな風にやり取りしたとするなら」 「ああ。そして君も桜井とは同じクラスで、一緒に遊ぶくらいには親しいんだろ。充分じゃないか」 「俺なんて薄い付き合いだ」 「主観の問題だね。とりあえず、謎の人物は桜井のフォローによって、校舎内に入れたとする。どんな会話を交わしたのかは想像するのも難しいが、田町さんか児島さん、渡部さんの誰かから聞いたことにして、様子を見に来たとでも言ったのかな。温かい飲み物を自販機で買ったようだし、家から調理パンや使い捨てカイロを持って来たかもしれない。ともかく、表面上は穏やかだったはずだ。何せ、死亡推定時刻まで少なくとも三十分ある。ところでここで一つ、浮かんで当然の疑問がある。謎の人物は桜井が夜の学校にいることをどうやって知ったのか? それを君が言い出さなかったのはやや不思議であるし、当事者だから自明で、疑問に感じなかったのかもしれない」 「――過大評価だな。単に思い付かなかっただけ」 「桜井が学校に残る原因となった女子三人の誰かから聞いたのか? 否。聞いたとしたって、桜井がずっと学校にいるとは考えまい。桜井自身が知らせることもあり得ない。端末の記録があるからね。ではどうやって? 恐らく、盗聴だ。市販の盗聴器を使ったか、お手製か、それとも携帯電話を利した極シンプルな仕組みか。多分、謎の人物は自宅で盗聴しただろうから、距離から言って盗聴器よりも携帯電話の利用がありそうだ。二台購入して、家族間通話無料のプランでも使えば、つなぎっぱなしにしても料金を抑えられるだろう」 「バッテリーが保たない」 「いや、充電器を通じてコンセントに差しておけば、ずっと保つ。詳しくないが、今のバッテリーは、電源に差したままでも簡単には壊れないとも聞く」 「危険だ。簡単には壊れなくても、劣化は加速する。それ以上に発熱異常を起こす。温度が上がると機能しなくなったり、最悪、火事の恐れもある」 「なるほど。でも――機械いじりが趣味で、得意な君には対策可能じゃないのかな。えっと、調べたばかりで実際には試せていないが、ダミーのバッテリーをかませて、誤認識させるとか何とか」 「……試すときは、もっとちゃんと調べた方がいい。まあ、やり方があるのは事実だ。学内探偵というのは人が悪いな。何も知らない素振(そぶ)りで、鎌を掛けてくる」 「“学内”を外してくれていいよ。さあて、そういった盗聴器を仕掛ける機会は、いくらでもあるだろう。目に付かない場所にコンセントがあればね。で、第二理科準備室内の動向を把握した謎の人物は、あるとき桜井に対して殺意を抱いた」 「ちょっと待った。謎の人物は盗聴内容をいつ聞いた? 午後五時の田町さんら女子三人が桜井に詰め寄ったときなら、俺は当てはまらないぜ。友達と一緒にいたからな」 「リアルタイムで聞く必要はない。多分、自宅で延々と録音できるシステムになってるんじゃないかな。帰宅後、それを1.5倍速ぐらいでチェックするか、適当な時間帯に当たりを付けて聞けば済む」 「……」 「いいかな? 十三日の何がきっかけになったのか。今、君が言ったくだりだとは思うが具体的な動機となると分からない。想像を逞しくするに、桜井はやはり大森さんと密かに付き合っていたのかな。だとしたら、あの日彼は大きな嘘を吐いたことになる」 「知らんよ。そちらの情報網に引っ掛からないことがあると認めるのか?」 「もちろんある。スパイ組織じゃないんだ。それまでの人間関係に重点を置いた口コミレベルがメインで――ま、そんな説明はいいか。とにかく、義憤に駆られたか、三人の女子の誰かが好きなのか、謎の人物は桜井に対して制裁を加えねばと考えた。盗聴音をチェックすると、桜井はまだ学校にいて、しかも怪我のせいで本調子からは程遠い。絶好のチャンスだ。謎の人物は夕食後、家族には勉強があるから邪魔しないでとか言って人払いしてから、密かに抜け出し学校に急行。先程述べたやり方で校舎に入った。食べ物で油断させた相手の隙を見て、再び顕微鏡で殴打したのか、机の縁に叩き付ける。すでに結構な重傷だった桜井は、呆気なく動かなくなったと思う。目的を果たした謎の人物、犯人は急いで帰ろうとしただろう。しかし、やらねばならないことに気付いた。まず、盗聴に用いた携帯端末の回収だ。これは簡単だったろう。次に考えたのは、このまま遺体を放置すると、田町さん達三人が疑われるか、少なくとも彼女達にプレッシャーを与えることになるという事実。撲殺とは違うやり方で殺すべきだったと後悔したかもしれないが、ときすでに遅し。今さら刃物傷を付けるか、紐で首を絞めた痕を残すかしようにも、道具がない。いっそ、顕微鏡で滅多打ちにしてやろうかとも考えたかな。そうこうする内に、犯人は異変に気付いた。家から持ってきた物の内、消えた物があると」 「学内探偵ってのは、『講釈師、見てきたような嘘を吐き』の口だな」 「かもしれない。まあ、今まで聞いてくれたなら、最後までお付き合い願うよ。桜井は死の間際に、最後の力を振り絞ったのさ。犯人が持って来た、犯人の指紋が付いているであろう品を身体のどこかに隠したんだ。最初、犯人はその意図にも気付かず、ただただ探したかもしれない。部屋の電灯をつける訳にもいかなかったろうから、明かりは自らの端末のバックライト頼みで、探すのはひどく手間が掛かっただろうしね。かなり時間が経過して、桜井が隠した可能性にやっと思い至る。が、その頃には死後硬直がぼちぼち進んでいたんじゃないか。犯人は死体のあちこちを調べて、桜井の口の中に何かあることを発見したんだと思う。でも、顎の硬直は他に比べて早い段階に起きるとされる。簡単には開けられず、犯人は途方に暮れたろう。だからこそ、犯人は校舎内にとどまったんだ。死後硬直がましになるまで、とどまらざるを得なかった」 「確か死後硬直は、死後十二時間で最高潮を迎えるんじゃなかったか? いくら待っても硬くなるばかりで、朝を迎えてしまうだろう」 「それはあとから調べて得た知識かい?」 「……」 「はは。犯人も待つ内に、どんどん硬くなっている、まずいと実感したろうね。空が白み始めた頃だろうか、猶予は最早ないと火事場の何とやらを発揮して強引に口を開け、中から物を取り出した。遺体が口を開けたいのか閉じたいのか、奇妙な具合に捻れていたのはこのせいだ。朝が近くなると、犯人が学校を出るメリットはほとんどない。とどまる方がましというレベルに過ぎないが、とにかく犯人はタイミングを見計らって、内側から第二理科準備室の鍵を開錠し、廊下に出た。コートの下は学生服を着ていたんだろう、だからこそこんな無茶をやってのけた。学生鞄がないのはよくないが、時期的にどうにか乗り切れる。あとは……高校生としては歯磨きぐらいはしておきたいところだが、はて、どうしたんだろう。たまたまミント風味のガムでも持っていたなら、ちょうどいいんだが」 「――その落ちで話は終わりか」 「終わりにしてもいいけど。このままだと、帰ってしまいそうだね」 「当たり前だ。証拠のない、単なる妄想に付き合ってやっただけ、感謝してもらいたいね」 「証拠ね。たとえば第二理科準備室に君のと思しき毛髪があったり、機械工作の際に出たと考えられる銅粉が落ちていたりというのは?」 「犯行の立証にはならん。俺もあの教室には以前入ったことがある。銅粉なんて、そもそも誰の物だか分からないだろうが」 「なるほど、確実性に欠けると。他に何かあったかな。ああ、そうそう」  探偵は芝居がかった仕種で手のひらを見つめ、急に閃いたように手を打った。 「現場から消えている物があるんだけど、分かるかい?」 「俺は犯人じゃないから、分かる訳がない」 「いや、事件の概要を聞いた人なら、ぴんと来てもいい物なんだ。普通なら警察が調べるであろう物なのに、全然出て来ない。遺体が発見される前の時点ではあったはずなのに、消えているんだ」 「……仄めかしはやめろ。試験されるいわれはない。答を知っているなら、もったい付けずに言えっての」 「じゃあ教えるとしよう」  探偵は一歩、いや二歩踏み出し、彼我の間の距離をぐいと詰めた。そして右手にしていた毛糸の手袋を取る。 「な、何のつもりだ?」 「こうして袖をまくって、その黒のコートのポケットに手を突っ込みたいと思ってね。手には手術用のラテックス手袋を填めているよ」 「よせ、やめろ」 「君は君自身が証拠は残さなかった自信はあるかもしれない。だけど、桜井の執念をどこまで推し量れたかな……」  探偵が右手をポケットからゆっくり引き抜く。その人差足指と中指とが、小さな物を摘まんでいた。小指の先サイズの白い玉。しわくちゃに丸められた紙のようだ。探偵が開いて、しわをのばす。 「これはこれは。思惑通りの代物が見付かったよ。桜井茂は自身の体調を鑑み、他人に見られたら小っ恥ずかしいからと一旦破棄するつもりで丸めたな。それを咄嗟の閃きで、犯人のコートのポケットに入れるなんて、なかなかのアイディアだ」  探偵が広げた紙――便箋の表をこちらに向けた。  そこには、桜井茂から田町由香莉へ宛てた返事が長々と綴られていた。 ――終わり
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