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 田町は約一時間後、通常であれば一時間目の授業の最中に、教室に来た。ドラマによくある流れだと、半日から丸一日は警察に拘束されているイメージが漠然とあったが、実際はそうとも限らないらしい。  名和達は話をしたかったが、担任教師の中田がすぐあとに続いて入って来たため、それはならず。ホームルームが始まり、中田先生からは大まかな状況説明と、もしもマスコミから接触があっても一切応じないようにと注意があった。そして今日の残りのスケジュールだが、授業はテストの答案返却のみで他は取り止めとし、生徒は一斉下校と決められた。明日以降のことは各家々に今夜にも連絡が入るが、基本、通常通りに行う方針という。  そうして迎えたイレギュラーな放課後、そして下校。足元に気を付けないと、溶け始めた雪が靴を濡らし、スリップも誘発しそうだ。 「一緒に帰れるってことは、疑いは晴れたのかな」  牛尾が田町に、妙に明るい語調で聞いた。機械いじりが好きで没頭しがちな牛尾は、普段興味のないことには自分から口を挟まない。今お喋りに興じようとするのは、事件への関心と、田町を元気付けようという二つの気持ちが合わさってのことかもしれない。 「うーん、その辺りも含めて、あんまり言いふらさないでって注意されてるんだけど」  手櫛で髪をすき上げる田町。肩を少し越えるぐらいの長い髪が、ふわっと広がる。何か花のような香りが漂う。 「黙っておくから。僕らから先には漏らさないようにすればいい」  名和は牛尾に調子を合わせた。告白相手が死んでしまい、さぞかし精神的ショックを受け、落ち込んでいるだろうと心配して、情報の共有を図ったのだ。が、当の田町は案外、平気なように見える。 「そういうことにしとこうかしら。正直な気持ちを言うと誰かに聞いて欲しいっていうのはある、うん」  両手の指先に息を吐きかけ、さらに擦り合わせてから田町は続けた。そこまで寒がるような気温ではないはずだが、もしかすると、事件を起因とする小刻みな震えが来ているのだろうか。 「色々と事情を聞かれて、何度も同じことを繰り返し答えていたのよね。それが、刑事さんと話してる途中で男の人が入ってきて、メモを渡して耳打ちして出て行った。で、新しい質問をされたわ。『昨日の夜十時頃、どこで何をしていましたか』って」 「昨日の夜のアリバイを聞かれたって?」  名和は牛尾と顔を見合わせた。二人とも同じことを察知していた。 「死亡推定時刻が、三月十三日の午後十時前後と出たんだな。それで、田町さんはアリバイがあったんだ?」  昨日は下校のときに一緒じゃなかったせいもあり、田町が途中で寄り道したのか、帰って何か特別な予定があったのかといった話は、全くしていない。夜の十時という時間帯に家族以外のアリバイ証人がいるとは、果たしてどんな場合か。 「新井(あらい)先生、家庭教師の新井先生が九時過ぎに来られて、四月からの方針を決めていたの。本当はもっと早めに来てもらうつもりだったのが、雪のせいで遅れたのよね。結構時間を食っちゃって。先生が帰ったのが、十時を三十分は過ぎていたわ」  女子大生の新井作美(さくみ)は、田町の家庭教師をするようになって半年ほど。田町家とはそれ以上でも以下でもない関係だから、アリバイ証言は認められるだろう。 「逆に疑問なのは、桜井はどうしてそんな時間に、学校に残っていたのか」  次に来る当然のクエスチョン。名和の発言を受けて、牛尾は関連する疑問点を挙げた。 「そもそも、どうやって残れるんだ?」  彼らの通う高校では、午後八時の最終下校時間を過ぎると、当番の職員が見回って九時までには閉め切られる。通常なら夜間、その職員が残ることはなく、遅くとも十時には学校を出る。 「どこかに隠れていたとしか。トイレとか?」 「トイレは確か、横開きの金属製のドアがあって、夜八時を過ぎると、見回りのときにトイレスペース全体が完全にロックしちゃうんだよ。隠れていたら閉じ込められて、朝まで出られない」  どうして牛尾がそんなことまで知ってるんだろうと、多少気になった名和。だが、今はそれどころじゃない。 「隠れるとしたら、教室よね。見回りって言っても、一つ一つじっくり確認してるわけじゃないんだし。閉じ込められていい覚悟があるなら、容易いんじゃない?」 「確かに。掃除道具入れの中や教卓の内側とか。そうそう、理科準備室だって狭いけど、棚が立て込んでいる上に、物がごちゃごちゃ置いてあって見通し悪いよな」 「もし仮にだけど」  名和はあることに思い当たった。 「殺人だとして、夜の十時に校舎内で殺されたのなら、犯人はどうやって逃げた?」 「それは、うーん」  牛尾は田町に、細めたその目を向けた。 「田町さん、刑事から何か聞いてないか? 校舎の戸締まりがどうだったか。一階のどこかの窓一つでも内側から開いていれば、犯人はそこから逃げたことになる」 「ううん、その辺りの話は何にも。考えてみれば、私が発見したとき、すでに学校は普通に始まっていたんだから、どこそこの窓がいつの時点で開いていたなんてこと、分かりっこないんじゃない?」  なるほど、筋が通っている。名和は思った。 「極論するなら、犯人は犯行後も校舎内に止まり、学校が始まるのを待っていた可能性だってある。窓の鍵を開ける必要がなくなるね。寒さに震えつつ、だけど」 「どうなんだろ。うーん、分かっていることをはっきりさせたいな」  牛尾は切り口を少し変えた。 「田町さんは今朝、何時に返事をもらう予定だった? 香水までして気合いを入れてたみたいだが」 「これ香水じゃないわよ。一応、制汗剤」 「この寒さで?」 「今朝は身体が熱い感じがしたのっ。ま、桜の香りだから、無意識の内に相手の名前と結び付けてたのかもしれないけど」 「この匂い、桜か」  関心が薄い男子二人はお互いに目を合わせ、首を縦に振った。 「話を戻しましょ。私が約束していたのは七時五十分。登校してきたのが七時四十五分ぐらいで、五分早いけど行こうって思ったのを覚えてるわ」  何事もないように答えた田町。一方、男子二人は「え?」となった。 「もしも先客がいたら、どうする気だったのさ」 「先客? ああ、ライバルが返事をもらっているところだったらってこと?」
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