冷凍庫の中の死体 1

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冷凍庫の中の死体 1

 一斉に、俺に視線が注がれた。  榛木ねこの手が震え、遥が青ざめた顔でこちらを睨んでいる。工藤彩葉は目を見開いている。 「あなたが、あいつの旦那さんだったの?」  全く、困ったものだ。その場にいる若輩者たちを宥めるように、俺は表情を和らげる。 「いや、あの……」  ああ、面倒だ。言い訳も考えたくない。そろそろ、お開きにしたい。アイリをあぶり出して終わらせたい。  そうだ。その通りだ。俺は綾香の夫で、愛犬ナナを奪還した。いや、奪還ではなく誘拐か。  全員、疑いの目で見ている。  全員、疑いの中にいるんだ。  こんな状況下では、猜疑心に支配されても仕方がないか。  綾香だって、こんな目で俺を見ていた。  いや、違う。もっと嫌悪と恐怖に染まっていた。  ふと、綾香と出会った頃を思い出した。  あの頃はよかった。  あの頃は、本当に。 ★  出会ったのは合コンだった。  その日の綾香は、明らかに乗り気ではなかった。後で分かるのだけれど、彼氏がいるくせに人数合わせできたのだ。  そのくせ、ぴったりとしたハイネックのニットで身体のラインを隠そうとしなかった。  その場の誰よりも視線を集めた。でも、でしゃばることはない。他のメンバーに花を持たせることを忘れない。  そのそつなくこなす感じが逆に男心を掴んだが、少しでもいやらしい目で見ようなら睨みつけて撥ねつける。  そこはかとなく、男たちにも女たちにも苛立っているのだ。  厄介なのは、男の扱い方をよくわかっていたこと。  男がこういったとき、どう返せば喜ぶか。どう返せば傷つかないか。知っていた。その逆も。  つまり、その場にいる男は彼女の手のひらの上でコロコロされていた。  ふと、ケータイが鳴って彼女は立ち上がる。 「ごめん。彼氏から。帰るね」  そう言って、さっさと彼女は席をあとにする。  他の男たちは呆気に取られていたけれど、女性陣は気にもしない。いつものことだったのかもしれない。  彼女は撒き餌だ。  俺の方は、俄然、気になった。  気づくと彼女を追いかけていた。  店を出ると、まだ綾香の背中が見えた。  ケータイで誰と話をしている。  「だいたいわかってた」  声が聞こえた。彼女だ。 「わたしも合コンに来てるの。だから気にしないで。結婚おめでとう。じゃあね」  そういって、通話を終えた彼女が、ふと、こちらを見た。  目が合う。 (別人?)  一瞬疑うほど、彼女はひどい顔をしていた。  釣り上げた眉は歪み、くちびるは震え、鼻は膨らんでいる。泣くのを我慢している。 「送ってくよ」  彼女はさっさと涙を拭いて、俺を睨む。 「腹の中では笑っているんでしょ?」 「何で?」 「彼氏いるって偉そうに席を立ったくせに、惨めにフラれたから」 「笑わないよ」 「じゃあ、失恋で傷心の女をなんだかんだ口説いて、ホテルによるんでしょ?」 「寄らないよ。男だからって、出会ってすぐホテルに行けません」 「合コン来ているくせに?」 「俺も人数合わせだし」 「信じられない。彼女が怖いの?」 「いません」 「そんな指輪しているのに?」  俺は自分の左手の薬指を見る。確かに、似合わない指輪をしていた。 「これはお守り。怖い人に捕まらないようにっていう」 「それなら尚更気持ち悪い」 「ずいぶん偏見あるね」  彼女は顔の片方だけで笑った。さっきの合コンで見せたキラキラとした顔ではない。 「偏見? あなたも女を値踏みして、楽しんだでしょ?」 「そりゃ、合コンだから」  俺もしらけた顔で返す。 「もっと簡単なことだよ。ホテルに行けないのは紳士だからじゃなくて、経験が少ないから自信がないの」  特に、あなたは美人だから。さすがに、そこまでは恥ずかしくて言えなかった。  綾香はこの発言が気に入ったから、ゲラゲラと笑った。 「それ正直すぎない? そこ、普通は見栄を張んじゃないの?」 「そんなに笑わなくても」 「だってさ。ーーまあ、わたしを誘う奴らが、見栄を張るやつばっかりだったからか」  ふと、綾香は顔を伏せた。ふんわりと夜の風が吹いて、彼女のうなじを通り過ぎていく。腹黒そうな表情さえ、何だかいじらしく見せた。 「うちに来て」  綾香が言った。 「飲み直そうよ」  ありえないことが起きた。  からかわれているだけだ。その時はそう思ったはずなのに。  酔っていたのかもしれない。 「いいね」  俺は、穏やかに答えた。そうやって、俺と綾香は、二人で飲むことになった。  彼女の家で。  買ってきた缶ビールと、彼女の手作りのおつまみ。残り物だというナポリタンは、すごく美味しかった。 「うますぎる。なんか申し訳ない。これはお金を払わないといけない」 「褒めすぎ」  綾香は笑った。隙だらけの照れ笑いは不意打ちだった。 「今度はできたてを食べてよ」  綾香がそういうから、俺たちはもう一度会うことになった。 「いいよ」  それが、馴れ初めみたいな夜の始まり。
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