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ピーターパンはキスが何かを知らなくて、ウェンディは彼を傷つけないように指ぬきをあげた。差し出されたピーターパンの手のひらの上にちょこんと乗せて。
ピーターパンもお返しにキスをあげると言って、ウェンディにどんぐりをくれた。差し出したウェンディの手のひらの上にちょこんと乗せて。
舞台が終わって最初の冬、茉莉香の16歳の誕生日に私はプレゼントを渡した。キスをあげるわ、と言って、少し背伸びをして茉莉香の首にマフラーを巻いたのだ。ピーターパンの衣装のような緑色のマフラーを。
次の春、私の23歳の誕生日に、茉莉香もプレゼントをくれた。キスをあげるよ、と言って私の手を取り、その手首に香水を吹き掛けた。ジャスミンの香りの香水を。
それがずっと習慣になっている。私が茉莉香にあげるのは、毎年、緑色のなにかだ。手袋、ペンダント、ピアス、ブレスレット。キスをあげるわ、というセリフとともにそれらを贈ってきた。茉莉香は毎年、キスをあげるよと言って、ジャスミンの香りの香水を私にくれる。その香りは、茉莉香の好んでつける柑橘系の香水と混ざると、私の世界一番好きな香りになる。
だけど今日の私は何も準備をしていなかった。今年は茉莉香の誕生日プレゼントを買っていない。
「キスをあげてもいい?」
心臓が、早鐘を打って痛い。指先も声も震えている。初めて茉莉香と握手をしたときの胸の苦しさを思い出す。あれは遅い初恋を知った痛みだ。そしてこれは、長引いた初恋を終わらそうとしている痛み。
私の心中を知る筈もない茉莉香は不思議そうな顔をした。何を今更、と思っているのだろう。
「もちろん」
と言って、私に向けて差し出した手を、催促するように軽く揺らした。
私は何も持っていない手を茉莉香に向けて伸ばす。16歳になった茉莉香の首にマフラーを巻いた時のように、伸ばした手を茉莉香の首に回した。体を寄せて伸び上がり、下から掬い上げるように茉莉香の唇にキスをする。
互いの香水が、ふわりと強く香った。
茉莉香の唇は柔らかかった。触れるだけで、すぐに離す。
「大好きよ、私のピーターパン」
茉莉香は目を見開いて固まっている。私は茉莉香の首に回していた手をほどいた。
「だからさよなら」
固まっている茉莉香に背を向けて、逃げるように駆け出す。
「……翠香!」
茉莉香の声は聞こえたけれど、私は止まれなかった。
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