パリ左岸の夕陽

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きっかけは、腹を空かせた同級生に親父の料理を食べさせたことだった。  当時、私の通っていた中学のクラスメイトに沢村という男がいた。そいつは、水商売をやっている母親と暴力団員との間にできた私生児であり、今でいうところのネグレクトの扱いを受けていた。  ある日の夕暮れ、学校から家への帰り道で、沢村が路傍にうずくまっているのを見かけた。彼は朝から飲まず食わずで、学校にも行かず、家の周辺をほっつき歩いていた。  私は彼に何かを食べさせなければならないと思い、声をかけたが、あいにく、人にご飯を御馳走してあげるだけの金を持ち合わせていなかったし、かと言って、親父の店に連れていくわけにもいかなかった。そこで仕方なしに彼を自宅へ連れ帰ることにしたのである。  その時、親父は職場にいたし、お袋も友人と出かけていたので、自宅には誰もいないはずだった。私は困惑する沢村を半ば強引に自宅へと招き入れた。冷蔵庫にあるもので何か作れないかと思い、把手に手をかけようとしたところ、玄関口から扉を開ける音が聞こえてきた。  私は慌てて手を引っ込めたけれども、親父に名前を呼ばれる方が心持ち早かった。親父は目敏い人間だから、玄関にある二つの靴を見て、私と私以外の人間が家にいることをすぐに理解したのである。  私と沢村は犯行現場から逃げ遅れた泥棒のような心持ちでその場に突っ立っていた。そのうち、仏頂面をした親父が無遠慮に床を踏み鳴らしてリビングへと入ってきた。私と沢村はその場に固まったまま親父から睨まれる格好になった。私は覚悟を決めた。  親父は私と沢村を順番に眺めてから訊いた。「何だ、お前ら、腹減ってるのか?」私は、その時の怒ったような、あるいは、何かを憐れんでいるような親父の表情を、未だに忘れることができない。  私は親父に睨み据えられて動くことができず、ただゆっくりと頷いただけだった。親父は、私の反応を確認すると、冷蔵庫から徐ろに食材を取り出してキッチン台の上に並べ始めた。  後で分かったことだが、親父は食材を調達するために一時的に自宅へ戻っていたということだった。親父は、わたしたちが見ている前で、黙々と作業を始めた。  私は、親父がそうやって料理をするところを、生まれて初めて見た。それは、料理をするというよりは、形のなかったものに形をくわえて本来の姿を取り出すような、そういうイメージに近かった。そのようにしてできた料理はこの世のどんなものよりも美しく、また輝いてさえ見えた。
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