パリ左岸の夕陽

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 親父があり合わせの材料で作った料理は豚バラ肉のコンフィだった。塩と胡椒を刷り込んだ豚バラ肉を低温で焼き上げたフランス風の即席料理である。 「本当は鴨を食わせたかったが、あれは時間がかかるんでな。これで我慢しろ」  そう言って、親父は料理の盛った皿を沢村の目の前に置いた。沢村は今にも涎を垂らしそうだった。親父は沢村を目で促した。沢村は貪るように料理を食べ始めた。それは食事という神聖な行為からは最も遠い、品位に欠けた食べ方だった。  しかし、彼はその行為によって、失われたものを確実に取り戻したのである。それは、栄養を吸収したと表現するだけでは物足りないような、もっと崇高な変化だった。親父の作った料理には、それまで沢村の人生に決定的に足りなかったものが含まれていた。それは「幸福」だった。いささか陳腐な表現を許してもらえるなら、その時の沢村の表情は幸福に彩られていた。わたしは、そんな表情をする人間を初めて見たし、何よりも、料理が人を幸福にし得ることを、初めて知ったのである。  私は幸せそうな沢村を見て、心底、羨ましいと思った。それは私自身が幸福を欲していたからだろう。親父はこんなにも人を幸福にすることができるのに、私やお袋は、そんな親父の傍にいながら、ちっとも幸福ではなかった。そういう境遇にいた私は、幸福に彩られた沢村の表情を見て、思わず、幸福に飢えたような顔になったことだろう。親父はその瞬間を決して見逃さなかった。 「お前も食ってみろ」  親父は吐き捨てるように言って、料理の盛られた皿を私の目の前に乱暴に置いた。遠慮して食べようとしない私に、親父は、「いいから食ってみろ」とぶっきらぼうに言い放った。  私は、親父の迫力に耐えかねて、目の前に置かれた料理を、恐る恐る、口に運んだ。瞬間、舌の上にこれまでに感じたことない優しさを感じた。幸福を知らなかった私にも遅れてきた青年のように幸福が訪れたのである。その時の私はきっと幸福を噛み締めたような表情をしていたにちがいない。そういう表情を親父に見られたくなくて、私はずっと下を向いていた。 「美味いか?」と親父は訊いてきた。私はゆっくりと首を縦に振った。親父は私の反応を見たあと、遠い目をしながら言った。 「俺はもっと美味いものを食ったことがある」
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