2、始まり

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 新芽が芽吹くころから、夏の終わりまでが貴族の社交シーズンです。秋冬はそれぞれの領地に帰るのが通例でした。  社交シーズンの間、夜会やサロンが頻繁に開催されます。昼間は王議会に参加したり、接待か自宅で事務仕事をする程度なので、ピヴォワン卿が在宅の確率は高いのでした。  彼は肉体的に優れているだけでなく、知性も持ち合わせた人でした。 「今日も息子は留守でね、こんなオジサンが相手で申し訳ない」  苦笑するピヴォワン卿は色気たっぷりのグリーンアイで、わたくしを雁字搦(がんじがら)めにします。その目に捉われると、わたくしは毎回、心の臓が止まってしまいそうになるのですよ。  赤くなっているであろう顔を下に向け、わたくしは懸命に対戦の申し込みをします。幸運にも、わたくしたちには“チェス”という共通の趣味がございました。  仕事を片付けてから、または来客が帰ってからと待たされることも、たびたびありました。そんな時は大広間の階段の裏で、わたくしは読書をして待つのが常でした。  手が空くと、侯爵とわたくしは何時間でもチェスに没頭しました。わたくしが勝つことも負けることもありました。ゲームに熱中している間は冷静でいられます。ときおり、盤上をにらむ彼の顔をのぞき見しつつ、わたくしは体を熱くしておりました。 「まーた、君が勝ったね? いやいや、たいしたものだ」 「いいえ。勝敗はトントンですわ。父相手だと、九割方、わたくしが勝ってしまいますもの」  歯を見せて笑うピヴォワン卿のお顔に見とれていたら、ふと真顔になられました。 「しかし、愚息は何をしているのだ?……先ほど帰ってきたようだが、挨拶もしないで引っ込んでしまって……」  あら? アルマンたら、帰ってきていたの? わたくし、まったく気づきませんでした。  風通しのよい大広間にて、小テーブルに向かい合うわたくしたちの横をアルマンは通り過ぎていったようです。夏場は広い所のほうが涼しいので、大広間にいることがほとんどでした。  呼び寄せようかとおっしゃるピヴォワン卿をわたくしは止めました。 「疲れた顔をされていましたし、声をかけなかったということは、ゆっくり休まれたいのでしょう。ソッとしておきましょう」  もちろん、嘘ですが。尊い時間をわたくしは奪われたくなかったのです。ピヴォワン卿は深いため息をつきました。 「いつも気を使わせてしまい、申しわけない。愚息には婚約者を大事にするよう、強く言い聞かせておこう」 「お気遣いは不要です。わたくしはピヴォワン卿とチェスができて、充分満足しております」  そこで、彼は腕組みし、しばし思考されました。こういう、さり気ない所作からも大人の魅力が滲みでており、目を奪われてしまいます。  長い指でたくましい上腕をトントン叩くさまは、ずっと見ていたくなります。一定のリズムを刻む彼の指には、白と黒の毛が半々に生えていました。
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