錆び付いた箱(理玖、実佳、佐伯、詩緒)

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錆び付いた箱(理玖、実佳、佐伯、詩緒)

「理玖、どうした?」 「……あ、いや何でも」  理玖が視界に捉えたのは紛れもなく実の弟である実佳の姿。散々嫌がったのにも関わらず実弟の実佳は猛勉強をして理玖と同じ高校に入学をしてきていた。三年生と一年生、余程の事が無い限り学校内で遭遇する事など無い筈だったが今確かに理玖は実佳の後ろ姿を見た気がした。  実佳の高校受験が終われば翌年には理玖の大学受験が迫っている。頼むから勉強の邪魔をしてくれるなと口酸っぱく言い聞かせたお陰もあり家の中でも実佳と話す事は稀だった。  特に目に見えて仲が悪いという訳では無かったが理玖は子供の頃から実佳の事が苦手だった。十歳年上の実兄詩緒を理玖は尊敬しておりそれは実佳も同じだったが、実佳から見た同じ兄という立場であっても実佳の長兄詩緒に対する態度と次兄理玖に対する態度は大きく違う。詩緒ばかりを純粋に慕い、まるで自分の事を兄と見ない実佳の態度に今までもう何度も腹立たしさを抑えてきた。極めつけは理玖が中学三年生の時で、今と同じく実佳は同じ中学校の一年に居た。その時実佳の兄を兄とも思わない言動の後同級生にからかわれた屈辱を理玖は今でも忘れてはいない。  その実佳が高校に入学してから日に日に元気が無くなってきていた事に理玖は気付いていた。身の丈に合わない偏差値の高校に入学してしまい毎日の授業に付いていけていないのだろうと考えていたが、今校舎内で見掛けた実佳の姿に嫌な胸騒ぎがした。 「ごめん、やっぱちょっと――」 「榊?」 「どうしたー?」  仲間との昼休みの勉強も終わり午後の授業が始まる前に教室へ戻ろうとしていた理玖はその集団をすり抜け確かに見た弟の元へと向かう。それは生徒指導室だった。実佳はこの教室の中へ教師に背中を押され入っていった。頭の悪い実佳の事なので成績が悪くその事で指導を受けるだけだとも考えられたが、それとは何か事情が違うと理玖が感じたのはただの兄としての直感だった。  引き戸に指を掛けるがガチリと音がするだけで開かない。どうやら中から鍵を掛けられているようで、理玖は引き戸に指を掛けたまま拳で扉を打つ。 「オイ実佳! 中に居るんだろう!?」  理玖は普段粗暴な言葉遣いをしない。それはこれまで優等生として過ごしてきた理玖の矜持でもあり意地だった。教師からの信頼も厚い理玖が粗暴な言葉を掛け扉を乱暴に叩く姿を見た周囲の生徒は一様にぎょっとして理玖を振り返る。  理玖が何度目か拳を扉に打ち付けた時、カチャリと内側から解錠する音が聞こえると理玖は叩く腕を止めて一歩下がる。 「榊くん、乱暴な振る舞いは内申に響くよ」 「……すみ、ません」  中から姿を見せたのは理玖にも少しは馴染みのあった若い物理の教師だった。去年何度か休暇を取った教師の代わりに授業を受けた事があるが、その時の理玖は授業中ずっと嫌な感覚がしていた。  理玖にとっては兄が一番だったが、この教師も女生徒たちが騒ぐ程度には綺麗な顔立ちをしている。女子というものは同い年の男子を子供っぽいと感じ年上フィルターのかかったこの教師をちやほやしたい気持ちは分からなくも無かったが、理玖はたった数回の授業だけでもこの教師の事を好きにはなれないと感じていた。  一言だけ注意をした教師が教室から出て行くと、まだ実佳が中に残されている筈だと理玖は教室の中を覗き込む。 「――理玖?」  中には確かに実佳が居た。長机に乗り上げる実佳は、何故かブレザーとシャツの全面を併せて押さえており、ころころと足元に転がってきたシャツのボタンに理玖は気付く。呆けたように理玖を見返す実佳の様子はこれまでの反抗期の元気さは一切見られず、一目で何があったのかを察した理玖は咄嗟に実佳へと駆け寄りその小さな身体を抱き締めていた。 「理玖、りくっ……オレ、オレっ……」 「……いい。何も言わなくていい実佳」  ――気付いてあげられなくてごめん。  理玖はこの日の事を後悔した。
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