3人が本棚に入れています
本棚に追加
カムアウト(詩緒、千景)
「千景先輩、相談したい事があるんですけど」
別棟中庭喫煙所、本棟の喫煙所から逃げてきていた千景を見掛けた詩緒は自らも煙草を握り締め千景を追って中庭に出て来ていた。普段別棟内から出て来る事が少ない分室のメンバーが中庭にであっても出て来る事は稀で、それが詩緒である事が余計に千景を驚かせた。
「どうした榊?」
元々内向的な上大抵の事は一人で解決出来てしまう詩緒が教えを乞うという事自体も珍しく、吸いかけの煙草を持ったまま千景は詩緒へと視線を送る。
「仕事の事?」
「あ、いや、違うんですけど……」
仕事の事で詩緒が所属の異なる千景へ意見を求めるという事はそもそも考えられず、かといって仕事以外の事で詩緒が相談に来るという事も考え辛かった。仕事以外ならばそれは人間関係しか考えられず、上司の四條を差し置いて自分に相談するという目の前の事象に千景は目を丸くした。
「千景先輩、家族にカムアウトってどうやってしました?」
「あッづ!」
タイミング悪く朽ち過ぎた灰が千景の指をも焦がす。それでも詩緒からの質問はしっかりと聞いており、煙草を灰皿へと投げ付けた手は肌を焦がした黒い灰を払いながら聞き間違いではないかと再度視線を詩緒へ向ける。
「ああ、あれだっけ、新しく分室に入ったっていう――名前なんて言ったかな」
分室にメンバーが増員されるという話は四條を通じて聞いており、その相手が詩緒の元彼である事やその元彼と復縁する事になったという事実を千景は斎から聞いた事があった。
単純にカムアウトについての話ならば自分よりも身近に斎や真香が居る筈であると考えた千景だったが、その二人では無く敢えて自分に聞いてきたという詩緒の真意を千景は容易に察する事が出来た。
「同性愛者だっていうカムアウトじゃなくて、彼氏の事を家族に紹介したいの?」
「…………はい」
それならば確かに今のタイミングでは斎や真香に相談し辛いだろう。詩緒は元彼との復縁を選びそれまで続いていた斎や真香とのセフレ関係を断ち切った。その上で彼氏を紹介する為の相談はさぞし辛かろうと千景は視線を逸らす詩緒の頭をよしよしと撫でる。
「俺の場合は家庭事情がおかしいからカムアウトしてないけど受け入れられたんだよなあ」
「……してないんですか?」
詩緒と千景は分室が出来る少し前から三年程の付き合いだったが、千景の家族の話などは今まで聞いた事が無かった。行き倒れていたところを助けられ千景の家に連れて行かれた時不可抗力として千景の彼氏である玲於の存在を知ってしまった事から、千景なら何かしらアドバイスを貰えるのではないかと期待していた。
「どっちかっていうと、レオが子供の時からそっち系で親戚の殆どが把握していた、感じ?」
玲於が千景に恋愛感情を抱いているという事は玲於の母親は勿論、頻繁に様子を見に来ていた従兄も知っており、当時からそれとなく千景の両親にも伝わっていた。
「……榊、親に言うのが怖い?」
千景と玲於は数ヶ月前に養子縁組をしたばかりで、その前に千景は念の為にと自らの母親に話を通そうとしたが、特に大きな驚きは見られなかった。
「……いや、…………どっちかって言うと、弟たち……の方が」
「ああ、あの可愛い榊の弟たちか」
千景は一度詩緒の弟たちと会った事があった。一番下の弟が一回り歳下だといっていたので、今の年齢から考えれば丁度高校生になった位の年齢で、確かに多感な時期の兄弟の前では出し辛い話題であると千景は納得すると同時に眉を寄せた。
「特に下の弟の方がショック受けそうで……」
「あーあの子。榊にそっくりで可愛かったよなあ」
詩緒の弟たちは二歳差であったが、どちらが次兄でどちらが末っ子であるかは一目瞭然だった。次兄の理玖は雰囲気こそ詩緒に似ていたが、どこか凛とした雰囲気で茶髪である事から少し不良っぽい印象を受けた。一方の末っ子実佳は詩緒をそのまま縮めたと思える程詩緒にそっくりで、身長は詩緒より二十センチ以上も低く当時は中学生であったが、学ランを着ていなければ小学生に見えたほどだった。
「分かります? 可愛いんですようちの弟は!」
「分かる分かる! 弟って可愛いよな。産まれた時の小さい頃から知ってると尚更!」
思わぬところで意気投合した詩緒と千景。実際の所千景は末っ子であり系譜的に弟は存在していないが、親戚同士の関係が密接だった千景にとっては歳下の従弟である玲於や虎太郎は産まれた時から弟のような存在だった。
「もう本当に天使? って思う時があるんですよ。いつでも抱き締めたいんですけど、最近抱き締めようとすると流石に嫌がられて……」
「分かる〜。産まれてきてくれて有り難うって思うんだよな」
詩緒がこんなにもテンション高く話す所を千景は初めて見た様な気がした。
「……大好きな弟に嫌われるかもしれないから怖いんだ?」
「はい……」
詩緒が確認しなくとも弟たちに尊敬の念を抱かれているのは分かっていた。理想の兄と思われている事は決して苦では無いが、その理想像を自らの手で壊してしまう事が何よりも怖かった。
「『兄ちゃん嫌い』なんて言われた日には俺立ち直れる自信無いですよ……」
「……榊、その気持ちめちゃくちゃ分かるわ」
千景は詩緒の両肩に手を置く。どうやら今の詩緒にとっては復縁したという恋人よりも弟の方が大事そうだという言葉は呑み込んだ。千景は運良く大切な弟と大好きな恋人が同じ人物であったが、どちらかを選ばなければならない時自分ならば選べるだろうかと千景は詩緒の抱える苦悩を尊敬した。
最初のコメントを投稿しよう!