希望という呪い(満×奏)

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「――ッ!?」  目を醒ますとそこに満の姿は無く、逃亡の末に潜んでいた廃ビルでも無かった。伸ばしたままの手は机の端の向こうに垂れ下がっていて、久しぶりに煌々と突き刺さる灯りが眩しい。  ここが何処であるかを整理する前に、何故自分が今ここに居るのかに思考を巡らせる。明らかにこの場所は教室のひとつで、周囲には制服を着て教卓に向かう生徒たちがいた。  机に突っ伏して眠っていた状態の奏はゆっくりと身を起こして教室内をそろりと一望する。周囲と自分の制服から高校であることは分かり、教室内にはちらほらと見知った顔があるようにも思えた。  高校なんて順調にいけば数年前とっくに卒業しているはずで、周囲のざわめきもないことから自分自身が当時の教室にいると考えるのは想像に難く無かった。  自分はもう三十路手前で、つい先ほどまで共に逃亡した満と暮らす廃ビルにいたはずだった。そこで満が作った劇薬という名の薬品を飲んで意識を失ったことまでは確かな記憶のはずだった。  高校二年の夏、自分の身と引き換えに従姉弟の叶を満から解放させた。叶の無事を願う者は沢山いたが、満はたったひとりになることで苦しむからだった。  それから高校には通っていない。恐らく中退扱いにでもなったのだろう。  時間を巻き戻す魔法は叶しか使えず、満の作った薬を飲んだことで過去に巻き戻るなんてあるはずがなかった。今自分がどういう状況にいるのか、それだけが重要だった。  考えあぐねている内に授業終了のチャイムが鳴り、教卓の前で授業を行っていた教師は教室から出ていき、教室内では同級生たちの喧騒が聞こえる。  良く分からない状況に置かれたことは確かなので、情報を集める為にも外に出ようと机に手を置いて立ち上がった瞬間――騒々しい足音と共に教室の扉が開かれた。 「奏ッ!」  その登場に教室中が静まり返った。陵が廊下を走ることも、声を荒げることも珍しく、その動揺は教室中に伝搬していく。 「奏……」  陵の背後からするりと姿を現したのは巧で、どうやらひとつだけでなかった足音は陵と巧ふたり分のものであったらしい。巧は静まり返る教室の中に入ってくると奏の両腕を縋るように掴む。どこか自分の記憶に残る巧の姿とは異なる、そう感じていた。 「奏、お前今まで何処に……」  巧のそのひとことで全てを察した奏は反射的に巧の手を振り払っていた。 「そ……」  巧は手を振り払われたショックでただ目を丸くしていた。教室に踏み込んだ陵はその場にへたり込む巧の代わりに両手で奏の制服へと掴みかかる。 「勝手に居なくなって、俺たちがどれだけ心配したと思ってるんだ!」 「……やめろ」  激昂する陵に奏はぽつりと呟く。  そうこれはきっと、奏が自らの意思で満へと下った後の時間軸だった。あるはずのない状況、あるはずのない記憶。 「誰も心配してくれなんて頼んでねぇんだよ。俺が選んだことに口出しすんな」  陵を突き飛ばすと意図も容易くバランスを崩し、陵は並べられた机に倒れ込む。 「ッ、りょ――」  思わず名前を呼んで手を差し出しそうになる。その瞬間ぞくりと背筋に悪寒が走り、あの喉が焼けるような痛みが蘇ってきた。  伸ばそうとしたその手で咄嗟に自分の口元を覆い隠し、倒れ込んだ陵と巧を見ながら数歩後ろに下がる。  大切な存在など満以外に存在しない。満以外の誰のことも大切と思わないから。  呪いのように頭の中で何度も反芻し、混み上がる吐き気を必死に堪える。 「奏、どっか具合悪い、のか……?」  それでも心配して手を伸ばそうとする巧をこれ以上傷つけるなんてしたくない。奏はただ教室を飛び出した。
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