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Ⅴ
この日の正義は何かおかしかった。元から粗忽さが目立つものの、調査の最中に呆けてその道の人にぶつかる等という事は、その場に総次が居なければ到底切り抜けられるものでは無かった。
「……本当にすみませんでした」
「調査に影響も無かったから良いけどさ」
その夜、調査報告書を正義の代わりに纏め上げた総次は透らに「生理休暇」と偽り、不調なままの正義を連れ反省会と称した飲ミュニケーションの場を設けていた。
「それよりお前……昼間も思ったけど何かあったでしょ?」
不慣れな後輩指導であるからこそどんな小さな変化でも見逃さずに気を配っていた総次の気遣いは、普段と違う正義の消沈振りが気になっていた。
自分の事を表現するのが苦手な正義ではあったが、先輩の総次に言い当てられただ俯くしかなかった。
「話したく無いなら無理には聞かないけどさ。もし話して正義が楽になるならそれはいつでも聞くから遠慮しないで?」
生ビールのジョッキを前に、総次は事務所内では吸わない煙草をくわえていた。こういった些細な事でも総次のいつもとは違う一面を見ることが出来て正義は嬉しかった。
「彼女に……振られたんですよ」
総次に出会う切っ掛けとなったバイトをクビになったあの日。あれ以降も中々連絡が付かなかった彼女と昨日ようやく連絡がついたかと思えば、それは別れの連絡だった。
引きこもりから脱出してようやく出来た彼女だ。クビになったあの日、どうしても連絡が付かないと思っていたらバイト先の正社員と浮気をしていたらしい。 騙されていた事が悔しいやら情けないやらで正義の感情は安定しなかった。やはり正社員で無ければ駄目なのか。三十路も近付いた男がバイト雇用というだけで恋愛対象にすら見て貰えないのか。最後の方は嗚咽まみれになりながらも、正義は目の前の総次に感情を吐露した。総次は正義の言葉を否定する訳でも、肯定する訳でも無く真摯な姿勢で聞いていた。
「すいません俺こんな……情けないっすよね……」
「別に良いんじゃない?男だろうが三十路になろうが泣いちゃいけない訳じゃないしさ」
「総次さあぁん!」
勢いに任せて酒を飲み過ぎたのか、総次に泣き付いた正義はそのまま離れようとはしなかった。周りにいた一般客からは変な目で見られはしたが、透曰く「老若男女問わずメロメロにする総次スマイル」により難なくその場を交わし、泥酔しきった正義を支えたままカードで会計を済ませ、魔法の力も使いつつ自分の家に連れていく事にした。
「……あれ? 総次さん?」
正義が目を覚ました時、そこは見知らぬ天井の部屋だった。
「起きた?正義寝ちゃったから俺の部屋まで連れてきたよ」
声がするほうを振り返ると、正義が寝ていたベッドの下の床にフリース姿の総次が横になっていた。
「すいませんっ! 俺総次さんのベッドをっ…!」
急にベッドから起き上がろうとすると、残っていたアルコールが影響し、ふらりと正義はベッドに倒れ込む。そんな正義の姿を見ながら総次は苦笑を浮かべ、起き上がるとベッドサイドに寄る。
「いいから。今日はもうゆっくり休みな?」
「だけど……」
身体を冷さないよう肩まで毛布を掛け、頭を撫でると総次は「おやすみ」と一言だけ言い部屋の電気を消した。何だか子供扱いをされているようで正義は不満を感じたが彼女と別れたことやアルコールのせいもあり、間も無く深い眠りに落ちて行った。
夢の中、正義の頭の中に巡るのは彼女との短かったが楽しかった日々。そしてこの日の総次の女装姿だった。
眠ってしまわなければ、正義には総次に聞きたい事が山ほどあった。それは総次とあの二人の所長たちとの関係だ。単なる戯れ言なのか、それとも度の越えたセクハラなのか。正義は今後のことも視野に入れ、どのような対応を取っていけば良いのかを決めかねていた。不注意で口から出てしまう言葉が総次を傷付けてしまう事は否定出来ない。正義としても、子供では無いのだからそれが言って良いか悪いかの区別くらいは付く。それに対して総次は極めて大人の対応をしてくれていると思う。
「……ッ、あ……っ…」
睡眠時に自分以外の気配があるのは久し振りで、総次は中々寝付けずに居た。正義には嫌な事を忘れられる魔法をかけておいたので、起きたら今日ほど気落ちはしていないだろう。それより気になるのは透と進が今後正義をどう扱っていくつもりかだ。透と進が抜きん出て個性が強い人物だという事は学生時代から知っていた。良く言えば純粋、悪く言えば女々しい正義に対して今後どのような対応を取っていくのが正解なのか、考えているだけで時間は過ぎていく。
初めは総次も突然魔法が使えるようになった事に取り乱した。使い道も良く分からず暴走をしている時もあった。そんな総次を見付け手を差し伸べてくれたのが懐かしい学生時代の先輩、透と進だった。
昔からつまらない冗談を言われ続けていたせいか、今もセクハラ紛いの言動を受け流すこと自体は総次にとって苦でも無い。
総次の空白の十数年を全て理解した上で受け入れてくれている。言動は少しおかしいが、あれでも本質は優しいのだ。
今までの恋人たちとは違う、気を遣わなくても良い相手、それがあの二人だった。
(気を遣わなくても良い? いや、それは違う……)
十数年前のあの頃より、総次は自分自身に変化があった事を自覚していた。悪い意味では無い。様々な人を見てきた事で生きる為の処世術を身に付けて来たのだ。その結果が今の総次で、相手を傷付けないよう相手の性格を把握した上でぎりぎり許される範囲の対応をするようになった。相手の気持ちを汲むようになった事が、総次の一番大きな成長だろう。
二人は「そういった」総次を求めている。以前ならば心から拒絶していた。しかし総次自身も今は感覚が変わってきていて、それを受け入れる事が出来てしまっている。
「総次さあん……」
案外寝相が悪いのか、ベッドから落ちた正義が総次のところまで転がってきた。正義はノーマルだから総次を性的な目で見ることは無い。それが総次の安心でもあった。ノーマルであって尚且つ総次を軽蔑しない。しかしそれは、正義が本当の総次を知らないからかもしれない。思慮が浅いのだ。もう少し深く考えれば良いのにと総次が思うことは多々あるが、初対面の人間に余り深くまで立ち入られたくないと考える総次からしたら今の正義くらいの人間が丁度良いのかもしれない。
「まったく……どんだけ寝相悪いんだよ」
自分がどうしたら嬉しいのか。恐らく失恋の直後なら誰かの温もりが欲しい。口の端に涎をたらしながらも情けない顔で眠る正義を自らの布団の中に招き入れ、総次はそっと身体を抱き寄せた。無意識だろうが和らいだ正義の表情に総次自分も少しだけ穏やかな気持ちになり、思考を停止して正義に寄り添って眠ることにした。
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