第三章

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 千景の家には使っていない部屋が一つあった。元々物置として使っているその部屋を、玲於を引き取ると決まったその日の夜から少しずつ片付け始め、引き取ったこの日には完全に玲於の部屋として使用できるようにしていた。新しい布団一式は領収書を提示する事で竜之介によって精算され、今後もその形式で玲於の部屋としての環境を整えていく予定だった。  千景の部屋と玲於の部屋は襖一枚を隔てている。今まで十年間引き籠もり生活を送っていた玲於に配慮し、寝ている時くらいは変わらず一人で落ち着けるようにと熟考した結果だった。しかしその千景の判断は間違っていた。 「ちか兄……起きてる?」  時計は深夜を回った頃、背を向けていた部屋を隔てる襖がすうっと静かな音を立てて開けられる。気を使って僅かに落とした声で玲於は様子を伺いつつ、膝をついて千景の眠るベッドへと近寄る。  誤算だったと千景は悔やんだ。風呂も食事もべったりと離れたがらなかった玲於の事だ、眠る時くらいは一人が良いだろうと考えた上での事だったが、玲於が大人しく一人で眠る筈がなかったのだ。 「寝てるよ」  睡眠導入剤を服用してからまだそう時間も経っていない。今日は初めての事が有り過ぎて疲れている事だろう。明日からまた気合を入れ直す為にも寝る時間を阻害されたくなかった。それでも千景はここで玲於が駄々を捏ねれば重い体を引きずってでも相手をしてしまうのだろうと自身の玲於に対する感情を理解していた。 「寝てるかあ……」  予想外に千景の言葉を信じた玲於のようだったが、ギシリ、とベッドが軋む。背中を向けて寝ていたのは失敗だったかもしれないと思った。しかし玲於とを隔てる襖側を向いて眠る事は玲於の事をずっと考え続けているようで気恥ずかしかったのだ。  背後に大きな犬の気配がある。ぴったりと隙間なく密着され気まずさを覚えた。玲於の中身は小学生男子のままのはずだ。よもや此処でおかしな事をしでかす筈もない。  もし寝所で玲於が何かを求めてきた場合、自分はそれに応えきる事が出来るのだろうか。  背後から玲於の寝息が聞こえてきたら自分も眠ろう。幸い今夜は導入剤の効果が薄い。張り詰めた神経は一錠では効果を表さなかったのだろう。 「んっ、ちか、にぃ……」  首筋に伝わる吐息にびくりと肩が震える。玲於の手が腰から脇を伝い寝間着のスウェットの裾から肌を滑る。たどたどしい指先が探るように肌をなぞり――  もしこの時玲於がその手を下腹部へと滑らせる事があったのならば何かに気付いただろう。小学生の知識までしか無い玲於はただそこにある千景の肌に触れる事で満足してしまったのだ。確認するようにぺたぺたと肌を撫でる。 「ちかにぃ、……すき……」  首筋に当たる鼻息のこそばゆさに千景は肩を震わせた。
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