第四章

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「ちかにぃ……」 「ん、」  玲於は毎日頻繁にキスを強請る。唇が触れ合うだけのバードキス。朝仕事に出る前、夜帰宅した直後、食事を作っている最中、起きた直後、寝る直前、はたまたトイレで用を足した直後。  改めて玲於の身長は千景より高い。引き籠もりを続けていた為身体測定などは行っていないだろうが、柱で身長を測ってみたところ百八十センチは超えていた。千景もそこまで身長が低い訳ではないが百八十センチには至らない。竜之介や虎太郎と並べば千景の方が身長は高く、玲於は従兄弟男性の中で最年少で最高身長を誇っている事になる。  千景は自分より身長の高い男を苦手としている。それはかつて自分より実兄の身長が高かったからだ。歳を重ねる事により実兄の身長を越す事は出来た千景だったが、今でも身長の高い相手はその時の苦い過去を呼び起こす。体格の大きな相手には何をやっても敵わないという事が無意識下に刷り込まれているのだろう。  その点自分より身長の高い玲於の事を千景は苦手に思った事は無い。引き籠もり生活が長く碌な運動もしていない筈の玲於の身長が伸びていた事は疑問でしかないが、恐らく父親がそういった遺伝子を持っていたのだろう。玲於の母親涼音も千景の母親牧子よりすらりと身長が高かった覚えがある。  玲於は身長が高いといってもひょろ長く、その点で「敵わない」という警戒心を千景に抱かせないのだ。 「ふふっ……」 「どうした?」  虎太郎も本業の美容師が忙しく、玲於の髪を切りに来るという約束が未だ果たされないでいた。毎日髪を洗わせた事でぼさぼさだった髪はある程度の清潔感を保てるようになり、長い前髪はファンシーショップで買った女子向けのヘアピンで留めさせている。小学生の女の子が付けているような装飾具であっても玲於ならばそれが似合ってしまうのが不思議だった。  そのおかげで照れ臭そうに笑う玲於の表情が前よりもはっきりと分かるようになった。 「しあわせ……」 「そりゃあ良かった」  玲於の表情が一気に紅潮する。両手で顔を包み込むその姿は忙しい毎日を送る千景のブドウ糖のようなものであって、この笑顔を見られるのならば過重労働も苦では無かった。以前勤めていたブラック企業に比べれば今の職場は天国のようなものだが、自宅に天使がいるという日々は人の心こんなにも変えるものかと千景は実感していた。  玲於本人からではなく竜之介からも玲於の好意を告げられた事が上機嫌に拍車をかけている。昔は誰かを大事にする事など考えられなかった。自分が大事と思う相手は実兄が全て破壊してきた。 「な、な何っ?」  両腕を回し首に絡ませ僅かに屈んだ玲於の髪に口吻を落とす。その意味は玲於には決して分からない。 「んー? 可愛いなあレオは」  誤魔化すようにぐしゃぐしゃと頭髪を乱しすぐに解放する。風呂上がりの玲於から同じシャンプーの香りがする。コスパ重視で独特の匂いは含まれていないはずなのに玲於から漂うそれは僅かに色気を感じる。  千景は自分のベッドに腰を下ろし、咥えた煙草に火を付ける。毎晩一緒に寝てはいるが男二人でシングルのベッドは些か狭い気もした。玲於がべったりと背後に張り付いているから問題は無いとしてもおいそれと寝返りも打てない。 「可愛い? 俺の事好き?」 「好きだよ」  千景が煙草を吸う様子を床に座った玲於が見上げる。今までの家に無かったテレビも置いてあるというのに玲於はテレビを見ている時間よりも千景を見ている時間の方が好きらしい。竜之介の金で携帯電話を買い与えてはいるが、連絡をする友達が居る訳でもなくメモリには千景と竜之介、虎太郎の三件しか入っていない。  吸い終えた煙草を灰皿へと捨てるとそれを待っていたかのように玲於はベッドに上がる。一度煙草を吸っている千景にキスをして危ないからと嗜められた事があったからだ。 「ちか兄」  いつもの様に背を向ける千景の肩を玲於が掴む。まだ構って欲しいという意思表示だろうか。向かい合って眠る事は玲於の鼻息で笑ってしまう事を隠せないので眠る時は決して玲於を見ない事にしていた。  肩を掴んだ手を玲於が引き千景はベッドに仰向けになる。 「なに?」  千景を逃さないように顔を挟んで両腕を落とす。電灯は玲於の体に隠れて暗い。少しは先の事を望むようになったのかと子供の成長を見守る親心で千景は玲於の頬に手を伸ばす。 「エッチしたい」 「ぶっは」  千景はまた一つ大きな問題を見逃していた。玲於の語彙も小学生で止まっていたのだった。腹を抱えて背を向ける。玲於は自分の言葉の何がおかしいのか理解出来ないようだったが千景はそれだけで満足をしてしまった。
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