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肺に循環させた煙を細く長く吐き出す。幸いな事に喪服に不備は無く、母親から伝えられた式場と開始時刻に合わせて電車とバスを乗り継いでやって来た。およそ八年振りともなれば見知った顔はそう居ない。それでなくとも叔母の弔問客を千景が知っている筈も無いのだ。
「千景」
「母さん」
背後からぽんと背中を叩かれ振り返ると、そこには自分と瓜二つな母親の顔があった。黒紋付で身を包んだ母親の姿は最後に会った二年前よりずっと小さく、僅かながらやつれているようにも見えた。白髪も以前に比べたら増えたようにも見える。自分の知らない間にもきっと多くの苦労をしてきたのだろう。千景が振り返った事で人違いでは無い事が分かりほっと安堵の表情を浮かべる。
「ごめんなさいね、悪いのだけれど受け付けをね、虎太郎くんとお願い出来ないかしら?」
涼音の両親である祖父母は八年前に他界している。姉である千景の母親は親族として席を外すことは出来ない。甥にあたる千景が弔問客の受け付けを担うのは打倒な申し出だった。
休みさえ取れれば母親とはこの先も話す機会は幾らでもある。積もる話がある訳でもないので、フィルターまで消費した煙草を灰皿へと押し付けるとひらりと手を振り、示された受け付けのある入口へと足を進めた。
従弟の虎太郎に会うのも八年振りだった。虎太郎は千景の母親の弟の子にあたる。千景の地方への就職と祖父母の不幸は時期が重なったが、ブラック企業のせいもあり祖父母の葬儀であっても休みを取る事が許されなかった。その為祖父母の葬儀で虎太郎に会う事は無く、学生時代に会ったのが最後だった。
「とーら」
受付を覗き込むと八年振りでもその姿には面影があった。身長は随分と伸びたようで百八十センチはない千景と肩を並べる位の体躯、肩に付く程度の透けるような金髪をハーフアップに纏め弔問客からの香典を受け取り記帳を促す虎太郎の肩に軽く手を置く。
「わ、千景か? 暫くぶりじゃねえ?」
「母さんがこっち手伝えってさ」
受け付けという建前上声のトーンは僅かに下げつつも、振り返った虎太郎は八年振りとなる従兄との再会に目を丸くした。虎太郎がすぐに千景だと分かった理由はやはり母親であるま牧子とそっくりだったからだろう。男性に対して表現に使うのはおかしくもある濡羽色の髪は絹のように細くしなやかで、長い睫毛もどちらかといえば女性的な印象を受ける。顔つきは年相応に大人びてはいるものの、それが余計に母親に面差しが似る原因にもなっている。
受け付けに二人も必要かと思えるほど弔問客は多くは無かった。記帳も見開き五ページが埋まるかといったところだろうか。
涼音は勘当同然で家を飛び出し長男を出産したものの、旦那からのDVで実家に逃げ戻ってきていた。千景が初めて涼音に会ったのもその頃だ。祖父母の死により本家は長男である虎太郎の父親寛壱が継ぐ事となり、追い出された訳ではないが涼音は長男を連れて実家を出た。それからは女手一つで飲食店を営み長男を育てていた――とは以前千景が母親から聞いた話だった。
弔問客が来るとしても店の客くらいしか居ないのだろう。隣に立つ虎太郎が欠伸を噛み殺す仕草を見せると千景も両手を後ろ手に組み背筋を伸ばした。
「葬式で金髪って良いんだっけ?」
「無茶言わないでよー、染めたり戻したりって大変なんだからね。ピアス外してあるだけでも十分っしょ」
そう言う虎太郎の耳には数多くのピアスの穴が見えた。千景より二歳年下の従弟虎太郎はその人懐っこさや振る舞いから一見してホストのようにも見えるが、確か専門学校を出て今は美容師をしていると何かの折りに母親から聞いた事があった。
「何年振り? 十年くらいだっけ?」
「んー、俺が就職でこっち離れた時振りだから多分八年くらいじゃね?」
弔問客の姿が見えなくなると二人は背後に用意された椅子に腰を下ろす。流石に受け付けで喫煙は良くない。特にする事も無く両手をスラックスのポケットに押し込み体重を椅子の背に掛ける。式場の中で喪主の挨拶が聞こえてくると千景はちらりとそちらに視線を向けてから何かを考えるように視線を移した。
「とーら」
「なに?」
「レオってもう十九だっけ? 今年十九? 二十?」
玲於とは涼音の長男の事で、今二十九歳である千景の十歳歳下だった事だけは明確に覚えていた。歳近い従兄弟達の中で十も離れた従弟の玲於はさながらアイドルのような扱いを受けていた。それは勿論従妹らからも例外ではなく、何かに付けては可愛がられていた印象がある。母親の涼音が仕事で家を空けがちの中、祖父母や手の空いている従兄弟連中が可愛がっていたので退屈をした事は無かっただろう。
「あ、あ――……レオね、今年で十九になるはず、だよ、多分……」
何処となく歯切れの悪い虎太郎の回答に千景は片眉を顰める。元々本家には祖父母と共に虎太郎家族が後継ぎとして住んでいて、そこに涼音が出戻ったため虎太郎と玲於は自分より長い時間一緒に過ごしていたはずだった。涼音も上の兄弟とは歳が離れていて、決して憎からず思われていたはずなので本家を出たからといって一切の交流が無くなる訳ではないと思っていた。
「十九なら普通喪主とか出来るんじゃねぇの?」
「いや、それは……さ……」
千景が不思議に思ったのは、喪主としての立ち位置に居たのが長男の玲於ではなく涼音の兄で千景の伯父である寛壱だったからだ。本家に同居している頃ならまだしも、家を出て自立していた母子の喪主が兄という事に千景は疑問を抱いた。十九歳ならば誰かのサポートを受けてでも喪主を出来ない年齢では無いだろう。
ぎしり、とパイプ椅子が軋む。虎太郎は誰かの助けを求めるように式場へとちらちら視線を送るが、その奇跡は起こらないらしく、諦めたように長い溜息を吐くと滑るように椅子に浅く座り直す。
「レオなあ……学校で虐められてから引き籠もってんだよ。……だから今日此処にも来てない」
「…………は?」
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