第一章

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 千景の休日を鑑みて、次の土曜に千景は竜之介と共に玲於が現在住むアパートの前にやってきた。千景は運転免許証は持っているものの殆ど身分証明書としてしか使っておらず、竜之介が車を出すという申し出を有り難く受ける事にした。  玲於の家は本家からはそう遠くなく、それでも主要駅からは大分離れた川沿いにあった。駅までは徒歩で三十分以上、築年数から考えれば二部屋で三万といったところだろうか。風呂とトイレは一緒なのかもしれない、プライベート空間は最低限確保できる程度の木造で壁も薄そうな二階建てのアパートだった。  必要最低限の物のみを持ち出し、残りの物は全て処分をする予定となっていた。その算段は全て竜之介が玲於の確認の下行っており、この日は玲於当人を千景の家に送るだけ。 「レオー? 来たぞー開けてー」  レトロな呼鈴を連打すると、外からでも室内に響く呼鈴の音が聞こえる。時刻はもう昼過ぎ、今日来る事は予め伝えてあるのだから出かけているという事は無いはずだった。  ピンポンピンポンと迷惑な程竜之介が呼鈴を連打すると、暫くして玄関扉が重く錆びた音を響かせて開く。 「…………りゅう兄?」  中から聞こえてきた言葉にぴくりと千景の肩が揺れる。千景が最後に玲於と会ったのは十年ほど昔の事だ。その頃の千景は成人前後で、玲於はまだ小学校中学年だった。  それから幾年、虎太郎に聞いた話では今年十九歳になるであろう玲於は―― 「でっか」  目線が千景よりも高く、三和土の差は多少あったとしても自分より長身である事が充分分かる。思わず漏れた千景の言葉に、痩身の玲於は伸ばしたままぼさぼさの前髪の隙間から千景に視線を送る。 「ちか、兄……?」 「よっ、随分でかくなったもんだなぁ」  引き籠りとは誇張ではなく、数年はまともな社会生活が送れていない事は千景にも容易に推測出来た。扉を開けてすぐに分かった腐敗臭、淀んだ空気、風呂にはある程度入っているだろうが胸元まで伸びた黒髪はところどころ絡まり毛先が傷んでいる。着用しているシャツとズボンもよれよれで薄汚れている。元々体毛が薄いのか、髭は殆ど生えていない。それでも、この姿のまま河川敷で路上生活をしていたとしてもおかしくない風貌をしていた。あの頃の可愛かった玲於の面影は何処にもない。  走馬灯のように頭に過ぎるのは、可愛かった小学生の頃の玲於。  ――ちか兄!  キラキラとした瞳で、駆け寄って抱き着いてくれば頭が腹に当たる程度の身長。千景にとって十歳も歳の離れた従弟は天使のような存在でもあった。  ――……ちか兄ぃ…… 「……ん?」  千景の頭の中に響いたのは確かに小学生の玲於の声だった。変声期が近付いて掠れた声が反響する。  ――ちか兄、かわいい……  その時千景は確かに思い出したのだった。十年前の出来事を。
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