第二章

2/4
前へ
/55ページ
次へ
 ――ちかくん、玲於をお風呂に入れて貰っても良い?  千景宅の浴室には椅子が一脚しか無い。当然と言えばそうなのだが、千景が自分の着替えを用意して浴室に入った時、玲於は洗い場で大きな体を折り曲げ膝を抱えて座っていた。  全裸で寒いだろうから先に湯に浸かっていれば良かったのに、と千景は考えたが恐らく体を洗わずに湯船に浸かる事が憚られたのだろう。大きな体をかちかちと震わせる姿を見ると「やっぱり少し馬鹿かな?」と千景は思った。  追い焚き機能を止めてシャワーから出る湯の温度を確認する。洗い場のタイルを湯で濡らしていき、少しでも冷気を緩和していくとぽんっと椅子を叩いて玲於に視線を向ける。 「ほらおいで、レオ。洗ってやるから」  自分の半分ほどの大きさしか無かった玲於の体が今は多少見上げる程に大きくなっている。その背中は広く、大きく、滑らかで、目立った傷等が無い事から涼音からの虐待は無かったようだと千景はほっと安堵の息を吐く。  玲於は四歳で涼音と共に本家に逃げ込むまで実の父親から暴力を受けていた。もしかしたらその傷は全て涼音が請け負っていたのかもしれない。当時は僅かでも赤黒く変色した皮膚を痛ましくも思ったものだが、十年経ちその後が一切残されていない事から肉体に対する暴力は無かったのだろうと考えた。  シャンプーは一度だけでは泡立たず、二度目でようやく満足の行く仕上がりとなった。当然ならば千景の家にトリートメントやコンディショナーなどという女性向けの洗髪料は無い。後日虎太郎が玲於の髪を切りに来ると言っていた時に持って来るだろう。予めその旨を伝えておけば二度手間になる事もない。  子供のように下を向かせ、両手で顔を覆わせて頭頂部からシャワーの湯を掛けて泡を流していく。専門の美容師ではないのでこの位は勘弁して欲しい。シャンプーハットでもあれば別なのだろうが、そもそも一緒に風呂に入るという想定をしていなかった。 「……ねえ、ちか兄」 「なーに」  千景が満足いくまで玲於を洗い終えると、ぼさぼさだった頭髪がある程度はしっとりとまとまるようになった。まるで本当に大型犬を洗っているような感覚になりながらも、少し温めの温度に設定した浴槽に洗い終わった玲於を沈める。 「前にもこうやって一緒にお風呂入った事、あったよね?」  覚えていたのか、と自らの髪を洗う千景の手が止まる。  過去を遡れば今から丁度十年前。千景が今の玲於と同じ十九歳で玲於がまだ九歳だった時の事だ。母親と共に本家に泊まりに来ていた千景は涼音から玲於を風呂に入れて欲しいと頼まれた。  千景が泊まるという事でその日の玲於のテンションは高く、千景と一緒に風呂に入りたいと涼音に強請っていたのは玲於だったかもしれないと千景は今になって思う。  千景の家よりは広い本家の浴室で、今のようにまだ自分で髪も洗えない玲於を抑え付けて体中を泡だらけにして二人で笑い合っていた。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加