第五章

3/3
前へ
/34ページ
次へ
 ようやく呼吸が落ち着いてきたかと思えば、唐突に詩緒の全身から力が抜け綜真は慌てて詩緒の身体を支える。詩緒は意識を失っていた。詩緒は何を告げようとしていたのか、知る術が無いまま綜真は詩緒の身体を抱き上げて個室を出る。  出会った頃から綜真より高身長であったにも関わらず、その中身は人間である事を疑うほど軽い。目元に光る涙は苦しみによるものか、それとも悲しみか、綜真はそっと目元に口付けてその涙を拭い取る。  酒の席に戻ると真香はぎょっとして綜真に抱き上げられている詩緒を凝視した。 「……綜真、何したん」 「……俺は何もしてねぇよ」  日本酒をお猪口で煽りながら、四條はその二人の姿を見て片眉を上げる。ぐったりとして青褪めた詩緒を抱えたまま綜真はその場に腰を下ろして席を見渡す。隣の席には先程と変わらず那由多が、斎も変わらず四條の腿を枕にして幸せそうに滅入っている。もしこの時斎に意識があったならば、あの時再三忠告をしたのにと文句を言われていたかもしれない。  酒に強い四條とその隣に真香が四條にべったりとくっついて共に酒を煽っていた。 「……本田」 「ぇえっ、はい、俺っ!?」  突然綜真に名前を呼ばれて真香は声が裏返る。 「詩緒(こいつ)の事、家まで送ってやってくれねぇ?」 「えっあ、……良い、けど」  詩緒と真香が親友と呼べる程仲が良い事は百も承知だった。目を覚ました時自分が側に居たら再び発作を起こしかねないだろうと考えた綜真は詩緒を真香に託す事にした。 「じゃあ俺が送りますよ」  名乗りを上げたのは隣に座っていた那由多だった。 「本田さんは海老原さんの事送って行かないとでしょう? 俺暇なんで」  結局どうする事が正しいのか、真香は狼狽えながら四條の判断を仰ぐ為に視線を向ける。 「……ええんちゃう? 赤松、送ったりや」  綜真も真香と同様に四條へと視線を送っていた。その四條が問題無いと判断したならばこれ以上綜真が何かを言う必要も無い。那由多は綜真から詩緒を抱き受けるとそのまま大切な物を扱うように抱え直す。 「じゃあ俺、タクシーで送りますね。本田さん、榊さんの住所教えて貰ってもいいすか?」 「あ、じゃあ俺も斎送るついでに帰――」 「本田」  四條は綜真を見ていた。詩緒を渡した後気不味そうに視線を四條から逸らす綜真。何かが起こりそうな気配を察した真香は斎と共にこの場を退席しようと腰を浮かせる。しかしその真香の行動を普段より少し抑揚の無い四條の声が制する。 「君は見送ったら戻っておいで」 「は、はひ……」  四條に対していちファン以上の感情を抱いている真香はこの四條の少しの変化をも敏感に察知していた。四條が怒っている事に気付けない程にわかファンをやっているつもりは無い真香は、那由多が詩緒とタクシーに乗るまでを見届けてから戦々恐々の思いで酒の席に戻る。  四條と綜真の二人は真香が席を立つ前とその位置を変えず、静かに酒を煽る四條の向かい側に座り崩した綜真が居るだけだった。斎だけはその場所を移しており、詩緒と那由多の二人が退席して空いたスペースに座布団を並べて横になって眠っていた。 「本田、何か飲むか?」 「あ、いやっ、俺はもう結構ですっ……!」  酒より帰宅をしたいと心から願う真香だったが今の四條には近寄り難く、かといって綜真の隣に座る事も何だか気が引けてしまい、四條と綜真が向き合う丁度中間地点で身を小さくする事にした。 「……暎輝」  真香は自らの耳を疑い反射的に綜真の顔を見た。綜真が分室にアサインされた日確かに四條からは自分の従弟であると言って綜真を紹介された。従弟であるならば名前で呼んでいてもおかしくはないのだが、聞き慣れない呼び方と親密さに真香は平静を扮いきれなかった。  片手に煙草を挟み、その手でくしゃりと自らの波打つ髪を掻き上げながら話す綜真の声はどことなく落ち込んでいるかのようだった。 「詩緒(アイツ)の為にも……俺、神戸帰った方が良いかもしんねえ……」 「まだ一ヶ月も経ってへんやろ、根性無しが」  斎をこの場に捨て置いてでも逃げ出すのが得策だろうか、真香はそわそわと身を揺らし始めた。今この場所に自分が居るのは場違いではないかと考える真香だったが、何故四條が敢えて戻ってくるようにと自分に言ったのか、真香はその理由を考えてみる事にした。四條が真香に同席を求めたという事は眠っている斎はさておき自分にはそれを聞く権利があると四條が考えた故の計らいではないだろうかと、ゆっくりと思考を纏め始める。詩緒と綜真の間に過去何かがあった事は誰が見ても一目瞭然だった。  空になったお猪口をテーブルの上に置く高音、思わず真香は驚きから肩を揺らす。 「綜真、自分榊と何があった?」
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加