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「赤松……だっけ」
四條が本棟へと去った後、共有スペースに残された詩緒と那由多の二人。詩緒はちらりと脱衣所に視線を向けるが、四條が来る前にシャワーへと向かった真香が出てくる気配はまだ無い。詩緒は自身が新人の世話をする程に対人スキルがあるとは思っていなかった。そうだとしても今日配属されたばかりの新人をこのまま棒立ちさせておく訳にも行かず、緩とソファから立ち上がると脱衣所の横にある給湯室へと向かう。
「はい、赤松那由多です!」
緊張しているのか、那由多の声は少し上擦っていた。
「コーヒー飲むか?」
「あっ、はい! お願いします! 俺も何か手伝いを……」
元からオーバーサイズなのか、歩き始めると詩緒の着ていたシャツは肩からずり落ちてしまいほぼ半裸の様な状態になっていた。それでも歩き難さには問題があり、立ち上がると共にジーンズのファスナーはきちんと上げていた。
小さな冷蔵庫や簡易的な給湯設備はあっても本格的な食事を作るには限度が有る。その証拠にこの給湯室には炊飯器は存在していなかった。電気ケトルの電源を入れ沸騰を待つ間脱衣所の更に奥にある擦りガラスの先へ詩緒は声を掛ける。
「真香、コーヒー飲むか?」
一拍遅れて中から返事が返ってきた。
「飲むー!」
シャワー室の防水加工が阻害し酷く反響していたが、今も尚シャワー室内に居た真香からの返事を確認すると詩緒は棚から三つのコーヒーカップを取り出し並べた。
「……真香ぁ」
「なーにー?」
「四條さん帰ったぞ」
「……はあ!?」
先程まで確かに内部で聞こえていたシャワーの水音が突然切れたかと思うと、慌ただしくシャワー室の扉が開かれ全裸の男が出てきた。
茶髪の中で前髪に一部白のメッシュを入れた真香はその身体に一糸纏わぬまま脱衣所の扉を開け、給湯室で湯が沸くのを待っている詩緒の前に姿を現す。詩緒はまだ服を着ていたが全裸のまま現れた真香に那由多は絶句した。詩緒は慣れているかのように冷めた視線を真香に送る。
「何で教えてくんなかったんだよ榊!!」
全裸のまま髪からは水滴を滴らせ真香は詩緒に歩み寄る。
「ちんたらシャワー浴びてるお前が悪いだろーが」
「誰のせいだと思ってんだ? アァッ!?」
何処か可愛らしいと呼べる顔立ちとは裏腹に、低くドスのきいた声で真香は詩緒のシャツに掴みかかった。
「あ、あの、暴力は……」
その格好には面食らったが、目の前で今起ころうとしている暴力を止めない訳にもいかなかった那由多は二人の間に入り遮るように手を出す。
「……誰、こいつ」
ぼたぼたと水滴をタイル式の床へと垂らしながら、真香は突然目の前に現れた那由多を凝視する。真香の手がシャツから離れた詩緒は肩を片方晒したまま、沸いたケトルを手に持ちカップに湯を注ぐ。
「斎の代わりに営業のヘルプで入った赤松だってよ」
インスタントコーヒーの香ばしい芳香が鼻腔を付く。元々は斎の物であるカップを上から持つと詩緒はそれを那由多に差し出す。
「あ、赤松那由多です! 今日から海老原先輩の代わりに頑張ります!」
詩緒から受け取ったカップを両手で持ちつつ那由多は真香に頭を下げる。
「俺はデザイナーの本田。宜しくな、赤松!」
那由多の真香に対する第一印象は『人懐っこそうな人』だった。先程までの形相が嘘かのように人好きのする笑みを浮かべる真香につられて那由多もへらっと笑みを浮かべる。
「……榊、お前ちゃんと挨拶した?」
「うっ……」
真香に指摘されて詩緒は固まる。詩緒と付き合いの長い真香は詩緒のコミュニケーション能力の低さを分かっていた。二人分のカップをそれぞれ両手に持つ詩緒の肩を掴み那由多の方を向かせると、真香はその背後から詩緒の両肩に手を置く。
「……エンジニアの、榊」
「『宜しくお願いします』は?」
「真香うるせえ」
真香は背後から指先で詩緒の首筋をなぞる。肌蹴たシャツの奥、白い肌に転々と浮かぶ鮮明な赤い痕。
「……何か、事後みたいっスね!」
那由多の渾身のギャグのつもりだった。二人は呆気に取られた顔で那由多を見るが、先に動いた真香は爪先立ちをして詩緒と顔の高さを合わせると、両手で詩緒の顔を横に向かせてそのまま唇を重ねた。
「まなっ……」
詩緒の抗議の言葉は真香の唇によって塞がれた。詩緒が手に持つカップの水面が大きく揺れる。詩緒は片手に持った真香のカップをシンクへと叩き付けて置くと、その手で真香の顔を押し返す。
「実際事後だしなあ。な、榊?」
「……コーヒー溢れんだろ」
真香の問い掛けを完全に無視し、詩緒は関係無いとばかりに自分のカップを持って給湯室を離れ共有スペースに戻る。
空いた口が塞がらない那由多だったが、残された真香を直視することも難しくぺこぺこと頭を下げると詩緒を追って共有スペースへと戻った。
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