『百人一首とその後、時々、花嵐』

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「なあ、お前百人一首の九十六番目の歌って知ってるか?」 そう尋ねると案の定、胡乱げな顔をした由良から思った通りの答えが返ってきた。 「は?知るわけないだろうが」 だよなあ、と一人うんうん頷いていると「なんだ貴様、気色悪い」と身も蓋もない追撃をされる。 「気色悪いとはなんだ。仮にもお前の恋人じゃないか」 頬がぷくりと膨らむのを感じながら不満を漏らすと、 「俺は気色悪い男を恋人にした覚えはないな」 と鋭い刃物のように切り返される。 結局、口では由良に勝てないのだ。閨の中以外では。 舟人の問いかけに冷徹に返しつつも「黙れ」とも「うるさい」とも言わず、居間から去ろうとしないところを見るとどうやら話は聞いてくれるようだ。 「ともかく、百人一首の九十六番目の歌の話なんだがな……」 九十六番目の歌、それは入道前太政大臣が歌った一首だ。 『花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり』 「花を誘って散らす嵐の庭は、花がまるで雪のように降っているが、ふりゆく…つまり降ると古いをかけているんだが、古くなっていくのはわが身なんだなあって意味で」 ちゃぶ台を挟みそっぽを向いて湯呑みを傾ける由良を眺めつつ舟人は続けた。 「なんだか、花とか嵐とか、お前のことみたいだなって思ってさ」 「は?」 ゴクン、と一際大きく喉仏を上下させてから由良は僅かに見上げるように舟人を睨め付けた。 「今でこそまあ大分丸くはなったが、お前ラバウルにいた頃はそれこそ花のわが身を散らす勢いの嵐のような男だったなあって」 「花のわが身ってなんだ。意味の分からんことを言うな、阿呆が」 由良の刺々しい物言いと眼差しに怯むことなく、舟人は鷹揚にも思える笑みを浮かべ由良に言った。 「お前のことに決まってるじゃないか。触れたら溶けそうな……薄い桜の花びらのようなそんな顔だって、花の(かんばせ)だって出会った頃から言ってるだろ」 にこにこと上機嫌に微笑みながら、どこか自慢げに語る舟人を見て由良は眉間の皺を更に深くした。 「……花だとかなんだとか、そういうことは女に言え。俺は男だ」 くだらん、付き合ってられん。 舟人だけが気付く眦に朱を入れながら、由良はそう言い捨てると湯呑みを置いて立ち上がった。 「お前が男なことぐらい、阿呆の俺でも分かってる」 由良の後を追うように舟人は立ち上がると、そのひんやりとした手首を優しく捕まえる。 「おい、離せ」 「嫌だ」 更に半音声を低くした由良に怯むことなく舟人は手首をぐっと引き、体勢を崩した由良を抱きとめた。 「おいっ!」 由良の肩と腕に力が入る。それを押さえ込むように強く抱きしめて舟人は言った。 「男のお前が、好きなんだ」 「ッ……!」 「お前だから好きなんだ。お前が違うと言っても、俺にはお前が花のように美しく見えるんだよ……由良」 優しく耳元で告げると触れた身体の逐一から由良の体温が上がったことが伝わった。 「……貴様の、そういうところが……一番嫌いだ」 耳殻を赤く染めながら唸るように由良は言った。 「知ってる。でも俺のことが好きなのも、知ってる」 由良の背中をあやすようにぽんぽんと叩きながら舟人は言う。いつの間にか由良の肩からは力が抜けていた。代わりにシャツを裂くかのように力いっぱい舟人の背に爪を立ててしがみつきながら、呪詛を吐くように由良は苦々しく呟いた。 「好きでもない奴と、一緒に暮らすわけないだろうが」 俯いた首筋から覗く白い肌が艶めかしく揺らいだ。 「……責任、取れよ」 殺意のように鋭い視線の奥にほんのりと欲情の色をちらつかせて、由良は舟人の背に更に強く爪を立てた。 知らず口の端を上げた舟人の顔には嵐の前の静けさが湛えられている。 「お前は俺の腕の中だけで散ればいいから。どんな花嵐となって、この身が刻まれても、俺は絶対にお前のことを離してやらないから」 透き通るように白い肌に、いくつもの赤い花びらを散らそう。 嵐のように情愛を注いで、そしてこの腕の中で儚く散る美しい花の刃のような花弁で、この先も我が身を振らそう。
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