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17 離婚式
――帝国で離婚式を行う貴族は現在殆どいない。
古くは王族が行っていたもので、神殿で永遠の愛を誓い合った夫婦が神の怒りを買わない様に、離婚をする時にも神殿で夫婦ではなくなった事を神の前で証明するのだ。
(アレクシスは一体何を考えているの?)
ローラが不安そうに顔を曇らせる。
「マリアンヌ様……離婚式とはいえ、また大公様にお会いする事になるなんて……嫌な予感がします」
「そうね……アレクシスはとてもプライドの高い男。その彼が何故人前に離婚式をやろうだなんて思い付いたのかしら」
テオドールも考え込んでいる。
「ふむ……確かに妙だな。まさか、再会した途端に復縁を申し込む腹積もりじゃないよな」
ルイスがフリフリと首を振る。
「まさか…そんな恥ずかしい行為をすれば、一生後ろ指をさされてしまいますよ」
「あの。離婚式って絶対に出席しないと駄目なのですか?」
ローラが素朴な疑問を口にした。
「神殿が離婚式を認めてしまえば、従うしかないだろうな」
テオドールの赤い瞳が怒りに燃える。
「どうやら、神殿が認めた結婚無効の承諾書に対して相当根に持っている様だな」
アレクシスは結婚した時から自分に恥をかかせた人間に対して容赦が無かった。
彼が本当にズタズタにしてやりたいのが誰なのか、マリアンヌには手に取る様に分かる。
(もしも……私の心に傷をつけたいだけなら、こんな悲しい事はないわ!)
「テオドール様……私、離婚式に出ます。そして神の前でアレクシスとの縁を全て断ち切りたいと思います」
「あ……マリアンヌ様、エリーンお嬢様はどうしましょう。神殿の外で馬車の中に待機していましょうか?」
(もう二度とエリーンをアレクシスに会わせたくない)
しかし、マリアンヌには乳母はおらず、何処に行くにしてもエリーンに負担を強いる事になる。
「そうね……仕方がないわ。エリーンに乳を飲ませないといけないし。一緒に連れて行くしか……」
このやり取りを聞いていたルイスはカチャリ、と眼鏡をかけ直した。
「マリアンヌ様、私は女性ではないので良く分からないのですが、もしや赤子を産んだ女性は自分の乳を牛の様に絞る事が出来たり?」
「? はい。出来ますよ? 今は赤ちゃんに吸って貰うのが一番楽だけれど」
ルイスの無遠慮な質問にテオドールが無言でルイスの頭に拳をお見舞いした。
「――っ痛いですよ!」
「当たり前だ。マリアンヌと牛を一緒にするとは……恥を知れ」
頭を叩かれながら、ルイスはマリアンヌの言葉で確信した。
冷凍魔道具や冷蔵魔道具が出来てから、牛の乳を搾って保存する技術は発展していった。
牛乳が冷凍魔道具で保存出来るのなら人の乳も……?
「マリアンヌ様! 事前に乳を搾って冷凍魔道具で保存しておくのはいかがでしうょうか!」
「あのぉ……ルイス様? 乳を保存する事が出来たとしても、どうやって生まれたばかりの赤ちゃんに乳を飲ませるおつもりですか?」
ローラが手を挙げて質問をする。
――そうなのだ。
赤ん坊は乳を吸いながら飲むのだ。
コップを使って飲まない。
「ありがとうございます。仕方がないわ? 魔道具で赤ちゃんが吸いながら飲めるコップなんて無理ですもの」
マリアンヌの、この発言でルイスはハッとした。
(そ、そうか……! 分かったぞ?)
「ありがとうございます! マリアンヌ様、しばしお待ちを!」
物凄いスピードでルイスは自分の部屋に消えていった。
「マリアンヌ、離婚式には私も出席しよう。マリアンヌの事は私が守るから」
マリアンヌの瞳が驚きで大きく見開かれる。
「そ、そんな……駄目です。これ以上ご迷惑をお掛けしたくありません!」
テオドールが優しく微笑む。
「――随分他人行儀だな。間もなく夫婦となる男に対して」
「――っ」
チュ、と指先にキスを落とすテオドールにマリアンヌは顔が熱くなる。
そこへ、ルイスが駆け込んで来た
***
「マリアンヌ様! お待たせ致しました! こちらのガラス瓶をお試し下さい」
――透明のガラス瓶の先に不思議な形のゴム製品くっついている。
「これは……?」
「こちらはゴム製でして、先の部分に小さな針程の孔が開いています。赤子が
飲もうと口を動かしてもすぐには吸えません。チュウチュウ吸うと乳が飲めるのです」
「ルイス様は天才ですね!」
ローラが目を輝かしている。
早速ローラの手を借り、マリアンヌは乳を搾ってみる。
マリアンヌが絞った乳が入った器をローラがルイスに渡すと冷凍魔道具の登場だ。
「冷凍魔道具や冷蔵魔道具が出来てから、この帝国の食文化も格段に上がりましたよ!」
ローラは冷たい果物やアイスクリームなど、子供の頃には体験出来なかった食べ物が今は沢山食べる事が出来るので、これらの魔道具に大変感謝している。
「あぁ。その魔道具は私が考案した」
テオドールの発言にローラは興奮した。
「すっ、凄い発明です! テオドール様も天才です!」
テオドールは苦笑した。
「私も天才の仲間に入れてくれてありがとう…戦争中に野営をする事が多いから食べ物が無い時に兵士が困らない様に初めは携帯用の小さな冷凍魔道具を作ったのが始まりだ」
ルイスが横から口を挿む。
「――そうですね。殿下が考案した携帯用の冷凍魔道具を家庭用に作り直して流行させたのはこの私です」
ローラが満面の笑みになる。
「そうですよね? やっぱりルイス様は天才です! 天才の師匠の弟子として誇り高いですっ!」
「――天才は余計ですよ。そろそろ乳が固まったようですね」
テオドールはルイスの耳が真っ赤になっている事を見逃さなかった。
(この男も素直じゃないな。本当は私がローラに褒められるのが面白くなかったくせに)
「マリアンヌ様! ご覧下さい! 見事に凍りましたよ?」
マリアンヌがおそるおそるガラス瓶を触るとカチカチに凍っている。
「これをエリーンが飲むかどうかってことだけど。飲む時はどうするの?」
ルイスが不思議な容器を持って来た。
「――こちらは泣いている赤子にすぐに乳を与える為の魔道具です。人間の乳と同じ温度に瞬時に解凍して適温となります」
魔道具のスイッチを入れると、ガラス瓶が入る穴が開いている事に気付く。
「こちらは真夜中に夜泣きをしたり、3時間ごとにお腹を空かせてお泣きになるエリーンお嬢様にすぐに乳を飲ませる事が出来るように保温機能がついております」
「おぉ、これは助かるな。時折乳を飲まずに吐き出してしまったり飲んで1時間程で起きてしまったりして困っていたのだ」
ルイスがカチャリと眼鏡をかけ直すと、テオドールに質問した。
「なるほど…殿下はただ同じ部屋で眠るだけではなくその様な事を?」
マリアンヌが慌てた。
「ご、ごめんなさい! テオドール様は私が育児に不慣れなのでエリーンが夜中に泣くと手伝って下さっているのです!」
ルイスがため息をつく。
「では、尚更この様な魔道具は必要ですね。同じ寝室にいながら何も出来ない男性と一緒なのはただのストレスとなりますから。どうせただオロオロしていただけでしょうし」
「なっ……」
顔を真っ赤にして抗議しようと口をパクパクするテオドールを完全に無視してルイスは解凍されたガラス瓶をマリアンヌに渡した。
ドキドキしながらエリーンを抱いたマリアンヌがガラス瓶を口に近付ける。
エリーンは唇に初めて触れるゴムの感触に、一瞬顔をしかめる。
一同が見守る中、ルイスが手を挙げた。
「マリアンヌ様、硝子瓶を立てて一滴だけエリーンお嬢様の唇に垂らしてみて下さい」
言われた通りにマリアンヌがガラス瓶の中身を一滴だけエリーンの唇に垂らした。
ポトリ、と白い液体がエリーンの小さく可愛らしい唇に落ちる。
「……」
むぐむぐと口を動かしたエリーンを見てルイスが叫ぶ。
「今です! マリアンヌ様! ガラス瓶のゴムの部分をお嬢様の口の中へ!」
急いでマリアンヌがエリーンの口の中へ瓶のゴムの部分を入れる。
乳を飲む、んくっ、んくっという音が聞こえる。
「せ、成功だ――!」
エリーンの喉が動いている事を確認して大喜びをする一同。
「さて…これで心置きなく離婚式に臨めるな」
マリアンヌは目に涙を溜めて感謝した。
「あ…ありがとうございます……私……絶対に負けませんから! エリーンの母として離婚式を成功させてみせます!」
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