訪ねてきた娘

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訪ねてきた娘

 天頂から傾いた蒼の月が、“処刑台”と呼ばれる断崖絶壁の頂点に触れる。その昔――狂獅子王の治世の暗黒時代、この切り立った崖の上から罪人を投げ落として処刑したことに由来する名称だ。  ここはヘシアナ大陸の最北に横たわる絶望山脈に連なる一峰の中腹――通称“禿げ岩砦”。狂獅子王亡き後、放置されていた城塞を改築して1人の魔女が住んでいる。彼女の本名を知る者はなく、赤紫色(マゼンタ)の短髪が棘の生えた球体のように頭全体を覆っている見た目から、カルドー(アザミ)の異名が付いている。  ――ギャ、ギャ 「なんだい、フルフル。おや、来客かい」  お気に入りの緑青菊のお茶を啜っていたカルドーは、窓辺で羽を膨らませる墨色のカラスの声に立ち上がる。ティーカップに口を付けながら外の荒野に視線を投げると、肩眉がピクリと動いた。 「へぇ……こりゃあ、まぁ……」  ――ギャッ、ギャギャ 「いいよ。迎えてやっとくれ」  肩に止まったカラスの襟周りに生えた銀色の羽をくすぐる。カラスは心地よさげに小首を傾げると、短く鳴いて魔女の元を飛び立った。 「あのぅ……すみませーん!! どなたか、いらっしゃいますかー?!」  青灰色の長いローブを身にまとった少女は、城塞正面の扉の前で、声を張り上げた。大声を絞り出すのは空腹に堪えたが、木製の古びた扉だからといって迂闊に触れてはいけないことくらい心得ている。 「すみませーん!!」  支えにしていた太い杖に、縋り付くように立っていたが、何度も繰り返す内に岩場を踏みしめる足がふらついた。 「なんの御用でしょうか」  突然、少女の前が開けた。なんの音もなく動いた扉の向こうに、執事風の黒衣に身を包んだ青年が直立している。スラリ背が高く、黒髪に漆黒の瞳。襟元に結ばれた灰色のネッカチーフが浅黒い肌に似合っていて、どこかエキゾチックだ。 「あの、ここは“禿げ岩砦の魔女”様のお住まいですよね?」 「いかにも。貴女は、どなたです?」 「あっ、あたしは、ミステル・ヴィスキオと言います。首都より南のトレボル村から来ました」  ここから首都までは、休まずに馬車を走らせてもふた月はかかる。少女のなりは馬車を雇えるほど裕福には見えない。裾の破れたローブに、底のすり減った靴。薄紫色の髪は埃にまみれて艶がなく、白い肌も若さの割にかさついている。痩せこけてはいないが、ローブから覗く四肢を見るに、身体の肉付きは悪そうだ。茹でたところでダシにもならないに違いない。 「あたし、“禿げ岩砦の魔女”様にお願いがあって来ました。どうか……お目通りをお願いします!」  体重を杖に預けたまま、少女は深々と頭を下げる。  黒衣の青年は、しばらく眺めた後、パチンと指を鳴らした。少女と青年の間のなにもない空間が水面のように揺らめいて――再び透明に戻る。 「結界を解きました。お入りなさい」  少女は、恐る恐る足を踏み出した。爪先が砦の内側に入ったとき、思わず喉がコクリと鳴った。もし青年が許可する前に彼女が内外の境界を越えていたら、瞬時に身体が四散していたことだろう。
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