ここじゃないどこかへ

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 しばらくして、痺れを切らした私は、家に帰ろうよと言った。  夜は深くなっていく一方で、朝が近づく。  12時を回るまでに、今来た道を引き返そうよと言った。  そのうちに岡山の標識が見えた。  バイクは加速していく一方で、反対に、街の景色は小さくなっていく。  いよいよ人気がなくなってきて、反対車線にはまばらなフラッシュライト。  涙はすっかり乾いて、風に浮き上がった前髪のそばでただ前を見てる。  止まらないスピード。  止まらない時間。  「お前が泣いたのはいつやった?」  亮平は聞いてきた。  私が泣いたのはいつだったか。  ——わからない  そう、答えた。  「楓が初めて泣いた日を知っとる」  難しいことを言うつもりはない。  だけど俺がブレーキを踏めないのは、お前の心に追いつきたいから。  亮平はそう言った。  ——追いつくって?  亮平の意図した言葉が、私のところに届かない。  密着した体の先で、夜は峠を越えて下降線を辿っていった。  月が遠くなる。  「ねえ、帰ろう?」  街の明かりはすでに消えた。  ここがどこだかはもう分からない。  ヘッドライトと、垂直に伸びていく2人の影の下で、延々と続く地平線。  「俺たちはもう引き返せないところに来とる」  亮平は振り向き様、私の目を見た。  私は戸惑いながら、次のインターで降りようと催促する。  それでも、あっという間にバイクは標識を過ぎて、曲がる気配を感じさせないまま、インターを過ぎた。  引き返せないって、どういうこと?  私は聞かずにはいられなかった。  亮平は言った。  「お前が初めて泣いた日のこと、俺はよう覚えとる。運動会の日、お前は必死になって練習しとったのに、こけてしまったよな?」  もうずいぶん前のことになるだろうか。  あれはいつだったっけ。  「昔すぎて、あんま覚えとらんわ…」  「俺はよう覚えとる。昔から負けず嫌いやったお前が、初めて、勝負で泣いた日やしな」  亮平は続けざまに言った。  「俺、お前のそういうところが好きや。悔しいもんは悔しいって言える、そういう性格が」  「そりゃどうも」  なによ、急に。  濡れたハンカチのそばで、柔軟剤の香りが鼻を通りすぎる。  ひしゃげた鼻骨。  長いトンネルと、ひび割れたアスファルト。  「そういうのって、大事やない?」  「何が?」  「負けたくないって思う気持ち」  バイクはサービスエリアに入って、空っぽになったガソリンタンクを補充するためにノズルを外す。  兵庫を出て、岡山に入ったみたいだ。  ずいぶん遠くまで来た。  「明日学校なんやけど」  さっきは明日の学校がどうとかって、言ってたくせに、急に今晩は岡山のホテルに泊まっていくからとか言い始めた。  替えの下着も何も持ってきてないってのに。  「そんなんコンビニにでもあるやん」  金遣いが荒いやつだ。  だいたいあんたの家は困んないの?  おばあちゃん、心配してるんじゃないの?  ただでさえ素行の悪い孫だってのに。
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