2人が本棚に入れています
本棚に追加
もし、世界でもう一度お前と会えるチャンスがあるなら。
タバコの煙が白く膨らんで、涼しい風が、サッとどこかからやって来る。
彼は遠い視線のまま、静かに海の向こうを見てた。
いつもの彼らしくなかった。
冗談しか言わない彼が、嘘みたいに真剣な表情を浮かべていた。
私と、もう一度。
そう強く噛み締めた言葉の先で、こっちを見る。
まるで別人みたいだった。
真剣なその眼差しも、言葉の端々に揺蕩う、らしくない声色も。
「俺はお前に近づけとるかな?こうして隣に立ってる時しか、お前を近くに感じられない」
…近くに?
彼が何を言おうとしているのか、わからなかった。
黙って聞いていることしかできなかった。
言葉の意味も、中身も、——その全部が、まるで違う世界から来たみたいだった。
「どこに行っても、どれだけのスピードで走っても、俺は“あの日”の自分を追い越せない。やり直したいって、思ったんや。ずっと前にな?せやけど…」
「…けど?」
「どう頑張っても無理やった。もう、一生たどり着けんってわかった。例え走り続けとったとしても」
こんなになにかに怯えている彼は初めてだった。
いつも勝ち気な笑顔で、はっきり物を言う。
誰にでも優しく、どんな時も前向きで、明るく振る舞っている。
そんな陽気な様子を絵に書いたような人が、嘘みたいに弱々しく見えて、嘘みたいに声に力がなくて…
「諦めたくはないんや」
「諦めるって、…何を?」
「お前に、もう一度会えるって」
「何言うとん…?こうして目の前におるやん」
「まあな」
「気でも狂った?…まさか、お酒でも飲んだ?」
「おいおい、勘弁してくれ。酒飲んでお前を乗せるわけないやろ」
「でも、なんかおかしいで?」
「どっから言えばええんやろな?」
困ってるのはこっちだった。
何を言いたいのか知らないけど、そんな困ったような顔をされても困る。
そう言うと、そっと手を差し伸べてきた。
ちょっとだけでいいから、握っててくれないか?って。
差し伸べられた左手に、私の指が触れる。
近くに感じる。
私は、あんたの近くにいるよ?
それを伝えたくても、言葉はうまく出てこなかった。
静かな水の音と、静かな海の色と。
月が白い雲に隠れている。
空のいちばん向こうに、鮮やかな星空が広がっている。
なにもかもが静寂の淵に沈みながら、その向こうで、ゆっくりと、雲が流れて——
「あの日俺は誓ったんや。無理だってわかっとっても、走ろうって」
この日、一番静かな海。
その横で、亮平は言った。
「これから先、どんなことがあっても、必ずお前を探し出す。約束する」
あの日見た夜の景色を、私は鮮明に覚えてる。
夏の終わりの夜にしては少しだけ蒸し暑く、きれいな夜空が世界の真ん中に寄り添っていて。
初めて来た小さな街の、小さな防波堤の一番下では、海が小さく揺れていた。
まるでいつまでも平和なひとときが、続いていくかのように。
最初のコメントを投稿しよう!