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事故に遭ったあの日の午後、集中治療室で、マスクを付ける。
アルコールで手を拭いて、全身に纏った真っ白な服。
帽子に靴カバー。
ベットの周りを覆ったカーテンを広げれば、「楓」と言ってくれるに違いない。
何気ない顔で「亮平」と呼べば、振り向いてくれるに違いない。
あの日、手術のあと、亮平の目は開いてた。
だけどその目が、もう2度と、私の方を向くことはなかった。
「遷延性植物状態になる可能性があります」
遷…延…?
どういう意味なんだろう。
私はバカだから、先生の言葉をうまく理解できない。
だけど調べていくうちに、それがどれだけ深刻な状態かっていうことを、無意識のうちに理解するようになった。
「あの日、亮平は死んだ。今はただ、心臓が動いてるだけ」
キーちゃんは電車のなかだと言うのに、人目も気にせずに大声で。
「それ、本気で言っとんか?」
私はいてもたってもいられない思いで、振り向き様言い放った。
なにもかもが窮屈で、言葉が詰まって、息がうまく吸えない。
「キーちゃんこそわかっとる!?あの日見た亮平は、まるで別人やった!目の動きも、息の吸い方も!バイパスに繋がった華奢な体が、ベットの上で揺れてた!上下するでもなく、前後するでもなく、ただ、小さく揺れてた…。酸素を吸う音と、心臓の音だけが、あの場所にあった」
そこに私の知っている彼はいなかった。
ただ呼吸器から酸素を取り込んでいる人形と化しているその姿は、私の記憶の中にある、もっとも厳かで、もっとも不確かな景色だった。
「私が聞いとんのはそこちゃう」
「せやったらなに」
「リョウが、死にそうになってる。今行かないで、いつ行くんやってことや!」
キーちゃんの言いたいこともわかってた。
だけどもっと、純粋の信じていたいこと。
それを日常の中に託そうとすることは、間違いなんだろうか。
「会いに言って、どうしろっていうんや?さよならを言えばええんか…?」
「そうやない…。楓。あんたが会いに行かんで、誰が会いに行くんや」
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