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「お疲れ様、僕の方はもう少しかかりそうだ」
「じゃあそっちが終わるまでには朝飯を準備しとくよ」
そう言って背中を向けた廻を、義時は何かを思い出したように呼び止めた。
「それと朝食の後でいいんだが、少し前に奥にしまった壺を表に出すのを手伝ってくれないか? あの牡丹の描かれてるやつ」
「あー……あれか、あれも中々売れないよな。結構長い事あるんじゃないか?」
義時の言った壺とは、大きさが百七十センチもある大きな沈香壺の事だ。十八世紀後半に肥前(現在の佐賀、長崎県)で焼かれた物で、表面には何とも言えない画風の牡丹が描かれている。
「そうだねえ……僕がこの店を先代から受け継いだ時にはもうあったよ。良い作品なのにどういうわけか売れないんだよ」
「値段をもうちょい下げたりとかしないのか?」
壺は作られた時代や状態によって値が変わるが、もっとも大きな変化の基準は作家が誰であるかだ。
『さやま』にある沈香壺の作者は、大里善治という作家だ。
彼の作品はどれも凡庸で、不出来とまでは言わないがこれといって魅力が無い……というのが世間一般の評価だ。
価格も高い物で精々十万円が良いところで、安い物なら一万を切る価格で売る店も多い。
だが義時は善治の作品を、あろう事か二十万で売ろうとしているのだ。
当然買い手が見つかるはずもなく、牡丹の沈香壺はすっかり『さやま』の肥やしとなってしまっている。
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