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「相変わらずすごい寝ぐせだな―――ああ、ごめんごめん」
彼の頭を撫でていた指先が、ジラソーレの跳ねている髪をなぞる。不満げな表情を作って唇を尖らせると、ダフネは揶揄ったようにからからと笑った。
ジラソーレは鏡台の下にある丸椅子を取り出すと、ダフネに座るように座面を叩く。彼は軽く頷くと、促されるまま席に着いた。眼前にある鏡の端に立てかけて置かれた、クリップでまとめられた紙の束を取り出してダフネに渡す。
「今日は涼しいからできるだけ首を隠しておきたい。これにしてくれ」
ぱらり、ぱらりと幾度か紙を捲った後、ジラソーレに視線を投げかけながら傷だらけの指先がとある絵を差した。頷きながらおずおずと視線を向けると、顔周りの毛を編み込みにしたものだった。
ダフネは口元に笑みを浮かべて、元の位置に紙の束―――もとい、カタログもどきを戻す。
約十五年前。大変芸術好きの国王が、芸術家やサーカス団などの全国巡礼を特別に許可した。それまでは北部、中部、南部の境には関門が設置されており、特別な許可証を毎回発行しなければならず国営業務を圧迫していた。しかしこの法律が出来たことにより認定さえ受けてしまえば何度も行き来することが可能となり、より芸術が盛んになることで国としてさらなる価値を作り出そうとしていた。
その結果、ありとあらゆる貴族がサーカス団を作り出したり、お抱えの芸術家に言伝を依頼したりと治安が一層悪くなったことは説明するまでもない。
全国巡礼公演によって国中の様々な髪形を知る機会が得られたジラソーレは、カタログとして紙に記録して使用している。簡単な文字しか書けず言葉も発せないため、髪を整える作業は絵で意思疎通を図るしかない。
基本的に演者はそれぞれお互いの髪を整えあったり、器用であればジラソーレのように自分で髪をセットする。しかし眼前の男はあまりにも不器用が過ぎてしまい、現在ではジラソーレが専属の整髪師である。
慣れた手つきでジラソーレは鏡台に置かれた瓶を取り、中身のオイルを手に垂らして、背中まで伸びたダフネの髪を撫でつける。ふわりと蜂蜜の芳香が漂った。
「今日が終わったら明日は休みだな」
頷く。
「明日は市場にでも行くか?この街―――マノは服飾が有名だと聞くから、何か珍しいものが売っているかもしれない」
顔を輝かせながら編み込んでいた指を止めると、鏡越しにその様子を眺めていたダフネが「行こうか」と頷いた。
そんな他愛のない会話をいくつか交わしながら、編み込みを完成させる。終わった合図にダフネの肩を叩くと、彼は頭を揺らしながら鏡で髪形を確認した。
「ありがとう。本当にいつも助けられてるよ」
立ち上がった彼は甘やかすようにジラソーレの栗色の髪を撫でる―――喋ることのできない、文字も書けない、おまけに頭も悪い。本当はダンスも得意じゃなかった。そんなジラソーレとサーカス団メンバーの懸け橋となってくれて、根気よく話そうとしてくれたダフネには感謝してもしきれないくらいだ。世話焼きであることが猛獣使いには必須条件なのだろう。
だから―――この胸の高鳴りや頬の熱さは仕方ないことだと思う。
弟を除く家族から迫害を受けて、使えないと奴隷として売り飛ばされ、運よくサーカス団に行き着くもそこでもうまくいかず―――一滴の優しさに意味を見出してしまうのは当然の考えだ。
伝える術も、伝える勇気もないのだけれど。
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