書店のゆくえ

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書店のゆくえ

 幸せハラスメント提唱(ていしょう)は思っていたよりも浸透(しんとう)しなかった。  書店の問題と権威による幸せの押し付けは別問題だった。  むしろ書店関係者は幸せについて問いをたて、差別や格差と向き合う姿勢があるかどうかを考える必要があったのだ。  それでも幸せハラスメントについて話題を一時期(いちじき)かっさらったのは成功ともいえる。  みなが幸せについていままでの考え方ではやっていけないかもと四十代以上の人達は考えてくれるようになった。  もちろん古臭い考えのままの人もいる。  そんな人達は家族関係もよくないし笑顔は多いが涙を流していることも知った。  やはり権威者がつくった幸せや能力主義(のうりょくしゅぎ)なんてまぼろしだったんだな。  だからこそ幸せハラスメントについて考えて欲しかった。  全ての人間にそれらを押し付けられなかった甘さがにくい。  本来その行動が正しかったとしても書店関係者だからこそもっと伝えようと躍起(やっき)になっていた。  そんな時、二人の高校生らしき男女が同じ本を二冊(にさつ)買っていたのを思い出した。  お世辞(せじ)にも本を買うような男の子ではなかったのにとなりにいた女の子のたのみではなく自分の意思と好きな気持ちで本を買ってくれた。  もう語りつくされた恋愛小説であまり売れているタイトルじゃなかったのに買ってくれた。  そうか。  幸せハラスメントに傷ついて忘れていた。  自分たちが書店を守ろうとしているのは、買ってくれる人達のドラマを想像していたからだった。  たしかに書店は今きつい。  でも幸せハラスメント提唱運動(ていしょううんどう)でビジネスをある程度勉強するようになったいまなら分かる。  どんな仕事もいつまでも稼げない。  そこで好きなことだけでなく嫌なことでも苦労していて幸せが続かない現実をみなが経験している。  そして権威者(けんいしゃ)たちは理不尽(りふじん)な連中だということを。  自分たちも同じことをやってしまった。  幸せハラスメントの問題については充分(じゅうぶん)やりきった。  そこでみなが幸せにとらわれない新しい目的を探していく。  自分たち書店関係もきれいごとや今までの認識(にんしき)を改めて迷走(めいそう)しないように生きていくしかない。  その道は決して楽ではない。  もう他人のせいばかりにはできない。  恋愛物語を買ってくれた若い男女に胸をはれるよう、ドロリとした気持ちをかかえながら私たちはその日できることで今日もうたがい、問いを立てる。  その積み重ねで書店を守ろう。  今からでもやり直せると信じて。
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