13話 初心者には恋の指南書

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13話 初心者には恋の指南書

(な、な、なに!? アマンドは、こんな気障ったらしいこと、しないんじゃなかったの!?)  振る舞いが王子らしくなると、こんなことまでし出すのか。  アマンドに口づけられた手に、汗がにじむ。 (ひぃ、早く手を、引っ込めないと!)  焦ったノエミが、びくついてるのが伝わったのか、アマンドは自ら手を離した。  しかし、視線は名残惜しそうにノエミの手を追う。 (その瞳! なんか籠ってるから! いろんな想いが心の中でない混ぜになってます、って主張してるから!)  隠しているつもりのアマンドだが、ノエミへの気持ちは駄々洩れのようだ。  それを受け止めるノエミは、戸惑いを隠せない。  母を早くに亡くしたノエミは、無償で愛される経験を積んでいない。  アマンドから向けられる想いに、何をどう返せばいいのか分からないのだ。 (嫌じゃないのよ、決して! むしろ嬉しいわ! だけど……私、どうしていいか分からない)  まさかアマンドのように、親愛を込めて手の甲にキスをするわけにもいかない。 (あれは王子さまの仕種だもの! 私の役割はそっちじゃないわよね? 私は、私は……)  あ~! と頭をわちゃわちゃと掻きむしって悩むノエミを、アマンドはにこにこ眺めていた。  ◇◆◇◆  しばらく悩んだノエミは、結局クレメンテを頼ることにした。  司書をしているクレメンテなら、恋の指南書くらい簡単に探してくれるはずだ。 「私は初心者だから、学ばないとね。いきなり実践は無謀なのよ」 「何について初心者なんだい?」  図書室へ向かっていたノエミに、背後から声がかかる。  ぱっと振り返ると、そこには腕組みをしたレグロがいた。  こうした場所で会うのは珍しい。  ノエミがレグロを見かけるのは、ほとんどが試験会場だけなのだ。  それはアマンドによって、徹底的にレグロとノエミの接点が排除されているせいなのだが、レグロが危険人物だと気がついていないノエミには与り知らぬことだ。   「ごきげんよう、レグロ殿下」 「もっと気さくにしよう、ノエミ。僕たちは将来、義理の姉弟になるんだ」  丁寧に腰を落とし挨拶をしたノエミに対し、レグロは妙に馴れ馴れしい。  だからノエミは警戒心を強めた。  こうした輩は、たいていノエミから何かを奪おうとする。  母を喪ってすぐの幼いノエミに、寄ってたかった親族がそうだった。  うっかり信じたせいで、母が大切にしていた宝飾品を、根こそぎ奪われた過去が警鐘を鳴らす。  そんなノエミに勘付かず、機嫌のいいレグロは、軽率に距離を詰めてきた。 「それで? 図書室へ行って、何を調べるつもりだった? なんなら僕が、教えてやってもいいが?」  ノエミの行く先を見て、目的地が図書室だと見当をつけたのだろう。  だが素直に白状するわけにはいかない。  ノエミが黙っていると、胡散臭い笑顔のレグロが、さらに体を近づけてくる。 「僕が手取り足取り、何でもノエミに――」 「ノエミから離れろ!」  今にもノエミの肩を抱こうとしていたレグロの手を、バシンとアマンドが払いのける。  レグロが登場してすぐ、危険を察した侍女が、アマンドへ知らせるため疾走した。  おかげで間に合ったが、駆け付けたアマンドは肩で息をしていた。  ノエミがその背を撫でようと側へ寄ると、力強くアマンドの腕の中に囲われる。 「きゃ!」 「レグロ、何度も忠告したはずだ。ノエミは僕の婚約者だ。手を出すんじゃない!」  アマンドの胸にもたれ、その言葉を聞いたノエミはピンと来た。  これまでノエミの身に起きた不可解な出来事は、レグロのせいだったのだ。  次々に無くなる服、真夜中の不審な訪問者――。  それらの行為から、アマンドはノエミを護ってくれていた。  今だってそうだ。 (カッコいいんだから……もう、どうしたらいいのよ、私)  息を切らして助けに来てくれたアマンドに、ノエミは感極まってしまう。  しかし、レグロはアマンドを軽くあしらう。 「そんなに怒ることないだろ? ちょっと声をかけただけでさ」  両手を挙げて、盾突くする意思はないと伝えるレグロだったが、アマンドは容赦しない。   「どこで目付け役の護衛兵を撒いたかは知らないが、これが父上の耳に入れば、お前は王太子選定の試験を受ける資格を完全に失う。僕はそれでも全然かまわないんだぞ」 「な、なんだよ、そんなの父上から、一言も聞いてない!」  レグロは慌てて後退すると、一目散に走り出した。  アマンドの台詞が嘘か誠か、ここでレグロに確かめる術はない。  分かっているのは、もしも本当だった場合、それがレグロの命取りになるということだけだ。   「くそ、覚えていろよ!」  去り際のレグロの罵倒が、ノエミにまで届いた。  だが、アマンドにしっかりと抱き締められているノエミには、怖いものなどない。 「それはこちらの台詞よ! こてんぱんにしてやるわ!」  まさかノエミに、言い返されるとは思わなかったのだろう。  レグロは驚き、振り向こうとして躓き、転びそうになったが、そのまま走り去った。 「ふん、護身術でも習おうかしら。あの自信満々の顔に、拳をめり込ませてやりたいわ」 「それはノエミの手が傷ついてしまうから、僕のためにも止めて欲しいな」  握り拳をつくっているノエミの手を、アマンドが両手で包み込む。   「レグロの件は、父上に一任しているから。……ごめんね、また怖い思いをさせたかな?」 「いいえ、アマンドが来てくれたから、大丈夫だったわ。ああいう手合いは、こっちが怖がるとつけあがるの。だから強く言い返した方が、撃退できるのよ!」    果たして気の強いノエミを求めているレグロに、それは通用するかどうか。   「無事でよかったよ。レグロはどうも、女癖が悪いらしい。夜中に侍女が寝室へ入っていく姿が、何度も目撃されているそうだ」 「婚約者のオリビアがいるのに、何てこと……私の父と同じね」  ノエミの顔が歪む。  マリーン公爵は、ノエミの母という正妻がいながら、愛人を囲い、子まで生した。  その子であるオリビアが、同じように裏切られているのは、何の因果なのか。   「でも、レグロ殿下とオリビアは、相思相愛じゃなかった?」 「レグロの考えなんて、さっぱり分からないよ。僕はノエミ一筋だから」    真顔で言い切るアマンドには、告白をした自覚はない。  だが聞いたノエミは、そうはいかない。  口がぽかんと開いて、首から上が真っ赤に染まる。 「な、な、なんて?」 「僕はノエミだけを大事にするからね」  追撃まできた。 「アマンド、それは、その……つまり、ええっと」  ノエミの頭の中は取っ散らかり、まともな受け答えもできない。 「そうだ、ノエミは図書室へ行くんだったね。僕も一緒に勉強するよ。レグロに敗けるわけにはいかないから」 「ええ、そう、ね。そうだわ、図書室へ、行きましょう!」  カクカクと足を動かし、ノエミはぎこちなく前へ進む。 (早く! 一刻も早く! クレメンテ先生に、初心者向けの恋の指南書を教えてもらわなくちゃ! これじゃ心臓が持たないわ!)  その後、ノエミに助けを求められたクレメンテは、アマンドの眼をかいくぐって恋の指南書を探し、ノエミの持ち帰る資料に紛れ込ませるという、至難の技をやってのける羽目になるのだった。  ◇◆◇◆ 「ふむふむ、『好きな人にされて、嬉しかったことは何ですか? あなたも同じことをしてみましょう』……? これ、いきなり難易度が高くない? 本当に初心者向け?」  クレメンテには絶大の信頼を寄せるノエミだが、一旦、本を閉じて表紙のタイトルを確認した。  ピンク色のカバーには、「初めての恋にどうしたらいいか分からない貴方へ」と、しっかり箔押しされている。 「……間違ってはなさそうね。つまり、世間一般の人はこのレベルを、簡単にこなしちゃうってこと?」  ノエミは自分の人生が、普通ではないと理解している。  その中で、学べなかった事も多い。  愛もそのひとつだ。 「せっかくだし、挑戦してみましょう。これも私にとって、大切な勉強の場よ。アマンドのためにも、頑張ると決めたでしょう?」  自分に言い聞かせ、ノエミはぐっと拳を握る。  そして次の日から、ふにゃっと微笑む無防備なノエミの姿に、心臓が止まりかけるアマンドが、各所で目撃されるのだった。
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