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9話 厄介事の予感しかない
最初の四カ月が過ぎた。
審査官たちの前で、この四カ月の間にまとめた考えを、発表する日がやってきたのだ。
ノエミとアマンドが招集された場所は、いつもの試験会場だった。
ふたりの前には、先に発表を行うレグロとオリビアが並んでいる。
何やら身を寄せ合い、こそこそと話し合っているのが見えた。
「オリビア、ずっと会えなかったけど、寂しくなかった?」
「寂しかったです。でも、しっかり勉強に身が入るようになって、お父さまやお母さまには褒められています」
「そ、そうか。僕はなかなか、勉強に集中できなくてね……」
オリビアが案外、落ち着いていて、レグロは驚く。
レグロは警告されたにも関わらず、何度もノエミに会いに行っては、アマンドに追い返されていた。
そうした兄弟仲の悪さに加えて、うまく性欲の発散ができずイライラし、最近は精神的にもよくないと感じていた。
毎月一度あるオリビアとの逢瀬は、勉強そっちのけで房事にふけっているが、そんなものではレグロはとても満足ができない。
何しろ離れ離れになるまでは、連日オリビアと愛の交歓をしていたのだから。
(参ったな……これではまともに、三年目を戦えそうにない。ここは、悪友たちの知恵を借りるか)
婚約者とのキスの味を自慢していた悪友たちには、一足先に味わった女体の良さを自慢し返した。
それ以来、悪友たちも婚約者をなんとか口説き落とし、ぞくぞくと大人への階段を上ったそうだ。
(あいつらだって、毎日、婚約者とやれるわけじゃないだろう。どうやって悶々としたものを発散させているのだろう)
悩ましい顔つきをしていたレグロだったが、側近のブラスに名前を呼ばれ、オリビアをエスコートして試験会場へ入る。
今日は試験ではなく、発表をするだけだ。
しかし、それでも何らかの対策は必要だったようだ。
まったく答えられないレグロに代わり、審査官との受け答えは主にオリビアが担ってくれて、なんとか体裁を保てた。
(次の発表までに、こっちも何らかの手を打たないとまずいな。兄上とこれ以上、差をつけられる訳にはいかない)
発表が終わったレグロたちが席を立つと、次に会場に呼ばれたのはノエミとアマンドだ。
ふたりとすれ違いざま、レグロは翡翠色のドレスを着たノエミの全身を盗み見る。
(やはり、いいな。体中から、匂い立つような女の色気が出てる。無理やり押し倒したら、ノエミはどんな顔をするだろう)
想像すると、ごくりと喉が鳴る。
すでに起き上がりかけた下半身がバレないように、レグロはオリビアを自室へと招き入れる。
これから発表の反省会と称して、夜までいけないことをするつもりだ。
(これでしばらくは我慢ができる。しかし、それもいつまで保つか……)
レグロは久しぶりのオリビアの体を貪りながら、すぐに悪友たちへ連絡を取ろうと決心した。
◇◆◇◆
「レグロ殿下は、何やら様子がおかしかったですね」
「うむ、ほとんどこちらの質問に答えず、オリビア嬢ばかりが発言していた」
「それに比べて、アマンド殿下とノエミ嬢は、よく協力し合っていました」
「ふたりで考えて答えを出していたのが、印象的でしたな」
発表後、審査官たちはそれぞれの感想を言い合う。
クレメンテも、レグロの腑抜けっぷりには、言葉を失ったひとりだ。
(よほどオリビア嬢と離されたのが、ショックだったのでしょうか。しかし、オリビア嬢はしっかり勉強をしていたようだし……)
その答えを知っているのは、今はここにいない者だけだ。
「ではまた、四か月後に開催しましょう」
「そのときにはレグロ殿下も、もう少し発言してくれるといいですね」
「このままでは、評価は下がる一方です」
「さすがに王太子の座を、簡単に諦めたりはしないでしょう」
その場で解散となり、クレメンテも司書の仕事へ戻ろうとしたが、そこをブラスに呼び止められる。
「クレメンテ、執務室へ来てくれ」
「いつもの報告ですか?」
「……王妃殿下から、話があるそうだ」
ブラスの渋い表情に、これは間違いなく厄介事だ、とクレメンテにも分かった。
すまんな、と謝るブラスは何も悪くない。
クレメンテは大人しく、ブラスと一緒に王妃の待つという執務室へ向かった。
◇◆◇◆
「不公平ではないですか? 聞けばレグロは、一度も教官からの授業を、受けていないと言うでしょう? それではアマンドとの差が生まれるのも当然です。これは公平を期する試験のはずですよ。直ちにレグロにも、同じ条件を整えなさい」
キーキーと囀る王妃に、ブラスもクレメンテも、ただ頭を下げ続けた。
一通り文句を吐き出し、ようやく満足した王妃が口を閉じた隙に、ブラスが反論を試みる。
「王妃殿下、予定に空きがあれば、いつでもクレメンテは対応するでしょう。しかし、これまでにレグロ殿下からの希望が無く――」
「あの子は遠慮しているんですよ、きっと。臣下ならばそれを慮って、こちら側から申し出るべきでしょう?」
これは話にならない、ブラスの顔にそう書かれていた。
それを読み取ったクレメンテは、自分から進言する。
「かしこまりました。私からレグロ殿下に声をかけます。それでよろしいでしょうか?」
「最初からそうしていればいいのよ。これまでのレグロは不当な扱いを受けたせいで、実力を発揮できなかっただけです。レグロが劣勢のままならば、私から国王へ、この試験はインチキだったと訴えます」
面倒なことになった。
ブラスもクレメンテも、そう思った。
(どうやら王妃殿下は、レグロ殿下を推しているようですね。アマンド殿下も自分の息子でしょうに……)
クレメンテは心の中で溜め息をつく。
「今すぐ、レグロと話をしなさい!」
そう王妃からの命令を受け、クレメンテはレグロの部屋へ出向いたのだが、なぜか取り次ぎを断られてしまう。
「レグロ殿下は今、オリビア嬢と勉強中ですので、どうかご遠慮ください」
「そう言われましても、こちらも王妃殿下から命じられているのです。今すぐレグロ殿下と話をするようにと……」
扉の前でもめていたのが、中に伝わったのか、苛立ちを含んだレグロの声がした。
「おい、うるさいぞ! 何をしているんだ!」
「それが……王妃殿下から遣わされた者が来ておりまして」
「母上から? それは今じゃないと駄目なのか?」
「どうやらそのようです。どうされますか?」
「……分かった。しばし待て」
レグロがオリビアにも、何か話している様子が伝わる。
クレメンテはかなり待たされた後、レグロの部屋へと通された。
そこにオリビアの姿はなく、怒りを露わにしたレグロだけが、横柄な態度でソファに腰かけていた。
いつも整えられている黒髪はボサボサで、先ほどまで試験会場で着ていた服から、なぜか簡易なローブへと変わっているレグロ。
それを見てクレメンテは腑に落ちた。
(ははあ……レグロ殿下は、色ボケしていたのですね。それで点数があんなに……)
疑問が解けて、心なしかすっきりしたクレメンテに、レグロが詰問する。
「それで? 母上は何だって、審査官を僕の所へ寄こしたんだ?」
レグロの中では、クレメンテは審査官のひとりなのだろう。
そこからまず、訂正をしていかなくてはならない。
「私はクレメンテと申します。審査官でもありますが、王子殿下たちの教官も務めております」
「教官? ああ、そう言えば、いたな。そうか、お前がそうだったのか」
レグロは興味もないのだろう。
どさりとソファの背もたれに寄り掛かると、鬱陶しげに前髪をかきあげた。
「どの道、僕には関係ないけどな」
「王妃殿下が心配されておりました。レグロ殿下が不調なのは、私の授業を受けていないせいではないかと――」
「ははっ、笑わせる! お前がどれ程のものだと言うのだ」
「私自身、それ程だとは思っていません。ですが、レグロ殿下の成績不振については、まぎれもない事実です」
ぎろり、とレグロがクレメンテを睨みつけた。
図星を突かれるのは、誰しも嫌なものだ。
「母上に伝えよ。次回の発表の場では、必ず審査官を唸らせてみせます、とな!」
「では私の授業は――」
「いらぬ。もう下がれ!」
「……かしこまりました」
クレメンテの仕事はここまでだ。
寝室へと消えていくレグロに、一礼をして部屋を出た。
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