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1話 タイプの異なる婚約者
「出かける準備をしろ。王城へ向かう」
「はあ?」
数年ぶりに、父親のマリーン公爵に話しかけられたと思ったら、内容が意味不明だった。
公爵家の裏庭にある掘っ建て小屋で暮らすノエミの元に、誰かが訪ねてきたのも久々だ。
よっこいしょ、とノエミは寝転がっていた長椅子から体を起こす。
詳細を聞こうと思ったら、すでにマリーン公爵の姿はそこにはない。
「出かける? 王城へ? 私が?」
目的も理由も、さっぱり分からないながら、丈の合っていない余所行きのドレスを引っ張り出し、ひび割れた鏡の前で髪を結い直す。
公爵令嬢という身分にも関わらず、ノエミに身の回りの世話をする侍女はいない。
5歳で母親のベアトリスを亡くしたときから、ノエミの居場所は徐々に奪われていった。
ベアトリスの喪が明けるとすぐに、マリーン公爵は幼馴染のパメラと再婚、ノエミには同い年の異母妹オリビアができた。
政略結婚だった妻のベアトリスに隠れて、マリーン公爵はパメラと長く愛人関係を続けていたのだ。
正妻として堂々と公爵家へ乗り込んできたパメラは、憎きベアトリスの娘であるノエミをいじめ始める。
最初は同情してノエミをかばう使用人もいたのだが、パメラが次々に辞めさせてしまい、今ではノエミが正式な公爵令嬢であると知る使用人は少ない。
「さて、こんなものかしらね」
先ほどまでの普段着スタイルから、少しは見栄えのする格好へと変わったノエミは、本邸へと足を向ける。
令嬢としてふさわしい部屋から追い出され、最低限の生活ができるこの小屋で、ノエミは15歳まで生き伸びてきた。
それはひとえに、ノエミが負けず嫌いで、逞しかったから成せたことだ。
「うつむいて暮らすなんて、ごめんよ。そんなの、相手を悦ばせるだけじゃない」
紫色の豊かな髪と、知性が潜む灰色の瞳。
マリーン公爵から毛嫌いされている冷酷そうなノエミの顔付きは、完全にベアトリス似だった。
切れ長の眦をきゅっと吊り上げて、ノエミは胸を張る。
「王城ね、上等じゃない」
ノエミだけ別に用意された小さな馬車に乗り込み、たいして長くない道のりを進む。
社交界デビューもさせてもらえなかったノエミにとって、この日が初めての入城だった。
◇◆◇◆
王城に着くと、侍従に謁見の間へと案内された。
そこには、ノエミよりも先に到着していたマリーン公爵たちの姿がある。
遠目にも目立つその集団を、ノエミはしげしげと眺めた。
ノエミと違って両親に愛されている異母妹オリビアは、夜会と勘違いしているのではないか、という飾り立てようだった。
だが、マリーン公爵とパメラも同系統の恰好だったので、このレベルがマリーン公爵家の昼の訪問着なのかもしれない。
家族のけばけばしさに呆れていたノエミのドレスは、シックな紺色でベアトリスのお古だ。
少しだけノエミの背が高いので、サイズ直しされていない裾と袖が短い。
型は古いが、布の材質がいいので、王城へ行くにはちょうどいいだろう、と思ってこれを選んだ。
だが、それを見たパメラは、扇で口もとを隠してせせら笑う。
「まあ、みすぼらしい。でも、お似合いだわ」
ノエミはおそらく、マリーン公爵家の令嬢として、この場に参上している。
そのノエミを嘲るのは、マリーン公爵家を嘲るのと同意なのだが、パメラにはそれが分からないのだろう。
ノエミをマリーン公爵家の一員だと、認めたことがないのだから。
「お静かに願います。国王陛下と王子殿下たちがおなりです」
国王の側近から口を閉じるよう注意を受け、パメラはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
忌々しいと言わんばかりの顔をするくらいなら、最初からノエミに嚙みつかなければいいのに。
(学ばない人ね――まったく)
これまでもノエミは、パメラの度重なる嫌がらせに、屈したことがない。
誇り高いのは、公爵令嬢だった母親譲りかもしれない。
毅然と背を伸ばし、お下がりのドレスを着ていても、前を向いて立っていられる。
(襤褸は着てても、心は錦と言うじゃない。私を貶すことができるのは、私だけよ)
しばらくすると奥の扉が開き、そこから背の高い、がっしりとした体格の国王が入ってきた。
その後ろを歩くのは、双子の王子だろう。
一人目は、長い黒髪に青い瞳、やや肩と背を丸めた姿勢で歩いている。
第一王子のアマンドだ。
二人目は、短い黒髪に金の瞳、動作が雅やかで威風堂々としている。
第二王子のレグロだ。
「楽にしてくれ」
玉座にかけた国王が声を発する。
それまで腰をかがめていたノエミは、ゆっくりと姿勢を正した。
国王がノエミとマリーン公爵たちを見渡す。
そして指先で側近に合図を送った。
「側近のブラスと申します。僭越ながら、私から説明をさせていただきます」
禿頭のブラスは一礼をして、静かに話し始めた。
「国王陛下には、ご存じの通り、16歳になる双子の王子殿下がいらっしゃいます。このたび、どちらを王太子に指名するのか、選定の試験を行う運びとなりました」
ノエミが思っていたよりも、重大事項が発表された。
どうして自分が謁見の間に呼ばれたのか、ノエミにはまだ分からない。
しかし、マリーン公爵やパメラは、知っているのだろう。
余裕のある表情を浮かべていた。
「試験では、王子殿下だけでなく、王子殿下の婚約者も一緒に、才を見定められます。よって本日、王子殿下たちの婚約者を、それぞれ決定したいと思います。マリーン公爵、国王陛下へ奏上してください」
名前を呼ばれたマリーン公爵は、一歩前へ出る。
そしてもったいぶった話し方で、ノエミにとっては寝耳に水な内容を発表した。
「恐れ多くも王家とご縁を結ぶにあたりまして、私が熟考しました結果、アマンド王子殿下とノエミ、レグロ王子殿下とオリビアを娶せるのがよろしいかと思います」
「王太子に選ばれなかった場合も、婚約は続行となるがよいか?」
国王からマリーン公爵へ確認が入る。
「もちろんです。その場合は、マリーン公爵家への婿入りという形で、何卒よろしくお願いします」
娘であるノエミとオリビアを二人とも、アマンドとレグロの婚約者に据えたのもさることながら、王太子になれなかった王子をマリーン公爵家へ婿入りさせようとは、やや強欲が過ぎないか。
ノエミが冷や冷やした思いで展開を見守っていると、国王と側近が話し合って返答する。
「よい、それで続行しよう。アマンド、レグロ、それぞれの婚約者へ挨拶を」
国王に言われ、王子たちがこちらへやってくる。
ふわふわの金髪をゆるやかに結った、天使のごとき外見のオリビアが、緊張しつつもレグロへと、熱い視線を送っていた。
凛としたレグロは、真っすぐオリビアを目指し、跪いた後、オリビアの手の甲へ口づけを落とす。
それに頬を染めるオリビアの姿は、文句のつけようがない可憐な乙女だった。
翻ってアマンドは、どちらがノエミかオリビアか、分からなかったのだろう。
レグロが進んだ後に、ようやく残ったノエミの方へ、そろりとやってきた。
(なんだかこっちの王子は見た目が冴えないけど、きっと相手も同じことを考えているわよね。父は分かっていて、この組み合わせにしたのだわ)
すでに王太子然としている精悍なレグロと華のあるオリビアが、将来の国王と王妃になれるよう画策したのだろう。
そして、イマイチ同士をくっつけて、マリーン公爵の監視下で、王族の血が流れる跡継ぎを育てるというわけだ。
「よ、よろしく」
いつの間にか目の前に来ていたアマンドが、握手をしようとノエミへ手を差し出した。
レグロがオリビアにしてみせた淑女への挨拶とは、雲泥の差だ。
だが、ノエミは安心した。
あんな気障ったらしい真似をされたら、卒倒する自信がある。
「こちらこそ。どうぞ私のことは、ノエミとお呼びください」
握り返したアマンドの手は、男らしく節ばっていた。
ノエミの握力が思ったよりも強かったのだろう、ちょっとびっくり顔をしたアマンドだったが、すぐにふにゃりと頬を緩めて親しげに微笑んだ。
きゅん!
それに、ノエミの心臓が反応する。
(な、な、な、なによ! 冴えないかと思ってたけど、笑顔は可愛いじゃない! この王子、ちゃんとしたら見栄えがするんじゃないの?)
ノエミは無意識に近づき、前髪に半分隠れた、アマンドの顔を下から覗き込む。
接近されて照れたアマンドが、頬を紅潮させるのを見てノエミは確信した。
(……間違いなく、あっちのキラキラ王子と双子だわ。ものすごく顔がいい。こっちの王子は雰囲気で損しているのね)
そうなると、途端に状況は変わってくる。
公爵令嬢として大切に育てられたオリビアとは違い、ノエミはほったらかされて生き延びてきた。
こちらのペアは、イマイチ同士ではなく、ノエミが足かせになるのだ。
(だからって、父の思い通りになって堪るものですか!)
ノエミは悪役に見えると評判の面貌で、いい笑顔をつくった。
「アマンド王子、私、頑張りますね。必ず王太子の座を手に入れましょう!」
「あ、僕のことは、アマンドと呼んで欲しいな」
血気盛んに宣言するノエミに対し、アマンドはおどおどと呼び名の提案をしている。
ここに、全くタイプの異なる婚約者たちが爆誕した。
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