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 侯爵令嬢アレクサンドラは、男装の麗人である。その理由は、こんなに美人に生まれたのだからコスプレしたっていいのではないかという単純なものであった。  前世の彼女は、特筆すべき能力もない平凡女子。仕事漬けの日々を送ったあげくの転生である。そして彼女は、転生した姿に無限の可能性を見出してしまったのだ。  すらりとした長身に、圧倒的美貌。高すぎず低すぎない耳心地の良い声。ドレスを着て令嬢として過ごしても、兄弟の服を着て貴公子として振舞っても、大層似合ってしまった。  その上、武勇を重んじる家門内で数世代ぶりに生まれた女の子は、家族のみならず一族に溺愛されていた。令嬢らしくしつけられるどころか、アレクサンドラの好きにさせるべきだと主張する者ばかり。そうして彼女は王太子の側近として、女だてらに働くことになったのである。  周囲の者もその決定に従った。何せ、アレクを溺愛しているのは彼女の一族だけではない。王族たちもまたアレクのことが大好きなのである。王太子がアレクを婚約者にしたいと思っていることも、アレク以外の人間にとっては周知の事実なのであった。  天により二物も三物も与えられていたが、そんな彼女にも弱点があった。恋愛偏差値が落第すれすれだったのである。そのため彼女の口から出たのは、甘い言葉ではなくもっと無骨な豪速球だった。 「つまり君は、わたしの胸の谷間が見たいと?」 「好きな女の子なら、胸だけでなくもっと他の部分だって見たいに決まってぼごぐげえ」 「……おっと」  どこからか投げつけられたりんごによって、王太子が静かになる。素早くキャッチしたアレクのおかげで、りんご本体も無事であった。 「度し難い変態ですわ! 今すぐ窓から捨ててしまいましょう!」 「このような男が、アレクさまの隣に立つなど許されません!」 「落ち着いてくれ。彼はこれでも王太子殿下だから」 「俺の扱いが酷い。あんまりだ」 「君はもう少し自分の言動を考えた方がいい」 「俺が一体何をしたっていうんだ」  床に這いつくばって涙にくれる王太子。アレクはやれやれと肩をすくめた。 「そんなにわたしと踊りたいのか?」 「ファーストダンスは、アレクって決めてた」 「じゃあ、それが終わったら他の女の子と踊るかい?」 「俺は、アレクとしか踊りたくない」 「馬鹿だなあ。最初からそう言ってくれていたら、ドレスを着てきたのに」 「えええええ? アレク、ドレスを着るの嫌じゃないの?」 「わたしはドレスを着るのが嫌だなんて、言ったことはないよ。似合うし、動きやすいから男装をしているだけで」 「そんな」 「それに、申し込まれてもいないのに、どうしてわたしがドレスを着てここに来ると思ったんだ? ご令嬢がたのダンスの相手がいなくなってしまうじゃないか」 「アレクのドレスを見るために全員招待したのが裏目に出た?」 「裏目どころか、馬鹿の所業だったね」 「ぐぬぬぬぬぬぬ」  アレクが指を鳴らしてのひらを開くと、一輪の薔薇が現れた。その色は、情熱の赤だ。薔薇の花を王太子に差し出しながら、アレクは微笑む。 「それでは、一曲お願いできますか?」 「だから、そういう格好いい台詞は俺が言うんだってば」  軽口を叩きながらふたりは踊りはじめる。ステップを踏みつつ、王太子が不満げにつぶやいた。 「どうして俺が女パートなんだ?」 「うっかり癖で」 「うおおおおお、ちっくしょおおおおおお、アレクがイケメンすぎるんだよおおおおお」 「わたしがイケメンというより、本心を隠したまま周囲を巻き込んで、ことを成そうとする君がダサいだけだ」 「ダサいだと……」 「ダサいは適切ではないのか。では、しょぼい」 「もっと言い方ってものがあるだろう」  苦悩する王太子に、思わずアレクはふきだした。胸の中でくすぶっていたもやもやの正体が、わかったような気がする。このもやもやに悩まされた身としては、少しばかり意趣返しをしてもいいのではないか。 「王太子殿下が、『国中の未婚女性を集めて舞踏会を開きたい』などと寝言をおっしゃるものですから。わたし、焼きもちを焼いてしまいましたわ」  服装はいつもの男装のまま。けれど上目遣いで艶やかに微笑めば、その姿はあっという間に麗しい令嬢へと様変わりする。胸の中のささくれだっていた気持ちに、甘い砂糖をまとわせてみた。こんな女の子らしい気持ちが自分の中にもあったのだと気が付いて、妙に気恥ずかしい。  だが王太子はというと、真顔で固まったままだった。こういうのは、何らかの反応を示してくれないと恥ずかしいだけではないか。 「ははは、似合わなかったか。恥ずかしいことはするものではないな……って、おい!」 慌てて自ら笑い飛ばそうとしたのだが、王太子の顔がじわじわ色づいたかと思うと、目を回して後ろに倒れそうになった。慌ててアレクが支えたものの、深窓の姫君のごとく気を失っている。その顔はとめどなくあふれる赤に染まっていて……。 「これはまさか、毒? おい、誰か!」  慌てるアレクをよそに、王太子が興奮のあまり鼻血を出してぶっ倒れただけなのだと周囲は正確に認識していたため、その後は粛々と処理されたのだった。  その後王太子はようやく想いを告げたアレクと結婚をするために、鬼のような修行に日夜励むことになったあげく、騎士団長を始めとするアレクの一族と決闘の日々を送ることになるのだが、それはまた別の話である。なお歴代の国王がりんごを素手で握りつぶせたかどうかについての記録は、残されていない。
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